6月の献立表です。
6月 献立表
給食便り | 05:05 PM | comments (x) | trackback (x)
 数日前、知床で沈没したKAZUⅠという観光船が引き上げられました。事故原因究明や遺族感情を考慮した引き上げだったわけですが、小さいとは言え沈没船を深い海から引き上げるのは簡単なことではありませんでした。この作業を依頼された日本サルヴェージという会社は、西太平洋エリアでは最も優れたサルベージ会社だそうで、卓越した技術と豊富な経験がこの作業を可能にしたのでしょう。

 ところが、完全に引き上げる前には、せっかく引き上げかけた沈没船を、さらに深い海に落下させるという事故が起きました。船を吊り下げていたロープの一部が切れて沈没船がずり落ちたということでした。

 このことを巡り、厳しい意見が飛び交いました。ネットでは、「日本のサルベージ技術にガッカリした」などのような発言も見られましたし、国会でもなぜこのようなことが起きたのかと追求する発言があったそうです。

 こういう発言を見たり聞いたりすると、果たしてこの発言者たちの正義ってどこから来るの?と思わずにいられなくなります。沈没船を落下させたのは技術的な問題だったのか、想定外ということを含む不可抗力だったのか、はたまた単純なミスだったのか、それは専門家が見極めるでしょう。ただ、少なくとも繰り返し報道されていたように、極めて難しい作業であったことは容易に想像できます。それでも事故は起きるのです。

 なのに、事故が起きたら、途端に正義感に満ち溢れた人たちがそれを振り回して非難を始めます。今回のことばかりでなく、日常的に発生する事件や事故について、にわか評論家となった人々が自分の正義を盾に誰かを攻撃します。その正義、どうしてあなたは振りかざせるの?

 残念ながら、私たちは自分たちが思う正義が正しいと勘違いします。でも、必ずしも私が思う正義が正しいわけではありません。私は所詮私が経験したり習得したりした知恵や知識、技術や経験の範囲でしか判断し得ないからです。例えば、私が何かを非難したとして、その指摘が間違いではなかったとしても、その事件や事故の背景には、当人たちにしかわからない事情があるのかもしれないし、それを知ったら私も「あ〜、それは仕方ないね」と意見を180度変えるかもしれない可能性さえあるのです。でも、正義を振り回しているときには、それが大変な過ちであることに気づきもしません。だって、自分は正しいと思っているのですから。

 正義の刃は、人を傷つけます。グサグサ突き刺しまくって瀕死の重傷を負わせてなお、私は正しいと開き直るのが、正義の恐ろしさです。でも、覚えておかねばなりません、その刃はいつか自分にも向けられることを。大切なのは、想像力です。そして、思いやる心です。

 新型コロナ感染症が流行し出した2年前、世光保育園は報道で呼びかけられるよりずっと前から「感染者が出ても特定しようとせず、互いに思いやりを持ってください」と呼びかけてきました。なぜなら、私たちは、お互いを大事に思い合うことを大切にしたかったからです。思いやりを持てる子どもたちを育てたいからです。なぜなら、神様がそう望まれているからです。

園長:新井純

『園長ブログ カピバラのひげ』 | 02:15 PM | comments (x) | trackback (x)
 今年もゴールデンウィークが始まります(終わってから読まれる方もおられるかも)。今年は最長10日間だそうですが、間に挟む平日に仕事がある方もおられるし、休日だからこそ出勤しなければならないサービス業の方もおられるでしょうから、必ずしもみんなが連休になっているわけではありません。それでも、ゴールデンウィークだと騒ぐのは、やはり連休になる人たちの方が多いからなのでしょうか。新型コロナ第7波が心配されながらも観光地にはお客さんが戻って来て、それなりに賑わいを取り戻しているとの報道を見ると、この連休は京都も賑やかになりそうです。
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 3月末のことです。インドネシアのサッカー場で、試合前に選手たちが「戦争反対」のバナー前に立って、ウクライナを支持するアピールを行いました。ところが、二人のパレスチナ人選手がそこに並ぶの拒否したので、そのことが話題になりました。一人が言います。「公平さも正義もない」

 パレスチナは、長い間イスラエルからの大きな暴力に苦しめられています。イスラエルはパレスチナからのテロ行為に報復するためだとして、パレスチナを爆撃することを正当化していますが、パレスチナからすると日常的に理不尽な暴力にさらされ、空爆をはじめさまざまな攻撃によって犠牲を強いられているので、そのことへの怒りが爆発して反撃をすると、「テロ行為だ」と断罪されるという不満を抱えています。

 くだんのサッカー選手は、そうした理不尽な暴力を世界にアピールしようとして、かつて戦争反対を訴えようとしたそうです。でも、その時は国際サッカー連盟から「サッカーと政治は別物」「そのようなアピールは規則に反する」と言って、アピールさせてもらえませんでした。なのに、今回ヨーロッパで同じようなことが起こった時、当たり前のように戦争反対を訴えることが許されるのはなぜだ?というわけです。

 この選手は、ロシアを支持しているわけではありません。ウクライナ侵攻を支持しているのでもありません。戦争には反対なのです。でも、中東やアラブ人が蔑まれていると感じないではいられない状況の中で、公平であることを求めたのです。

 この記事を読んだとき、ドキッとしました。確かにこの選手の言う通りです。パレスチナにどれだけ想いを寄せただろうか?アフガニスタンはどうだ?ミャンマーは?

 欧米諸国は正義、東側は危険、中東はもっと危険、そんな短絡的な決めつけをして来たつもりはありませんが、私の中で公平ではなかったとの思いは沸々と湧いて来ました。戦争反対を訴えることは良いこと、当然のことだと認識していますが、果たして全ての戦争について同じ思いでいただろうかと、顧させられたのです。

 思いは、いつも自分が思っているのと同じように受け止められているわけではありません。逆の立場になれば、汲み取れきない思いもあるし、想像から漏れている事柄もあることを自覚します。それでも、想いを受け止めてくれる人が一人でもいることを知れば、わたしたちは希望を抱き続けることでしょう。なぜなら、それが公平の第一歩だからです。 

園長:新井 純

『園長ブログ カピバラのひげ』 | 02:13 PM | comments (x) | trackback (x)
  新年度がスタートしました。未だ新型コロナ禍が続いていますが、健康が守られ、子どもたちが元気に楽しく過ごしながら、たくさんの経験を積んで、しっかりと土台作りができるようお祈りします。

  経験を積むこと、これがいかに大切かは言うまでもありません。経験したことであれば見通しがつくので、物怖じしないでスムーズに出来たり、落ち着いて取り組めたり、さらなる工夫をもってより良い結果をもたらすことも出来ます。

  例えば、園では時々お散歩に行きますが、道中は大事な「経験」の場です。特に、車やバイク、自転車などが行き交う道路を歩くことは、交通ルールを学び、しかし全ての人がルール通りに動いていないことをも知り、その上で自分の命を守るためにはどのように行動すれば良いのかを、繰り返し経験して学びます。これは、交通安全教室などで1度や2度教えたからと言って覚えられるものではありません。正確には、繰り返し体験し続けることで、身に付いていくものです。しかも年齢や個人差で身に付き方も違います。子どもは好奇心旺盛で目に付くさまざまなものに興味を惹かれますし、友だちとの話に夢中になって注意力も散漫になります。「公園に着いたらいっぱい遊ぼう」と声かけしても、道端にアリを見つけるだけで、そこに気を取られるのが子どもです。ですから、同じような注意を何度も繰り返すことになりますが、そういうことを繰り返して道路に潜む危険を知り、道を歩くときにはどのように安全確保をするのかを体得していくわけです。

  あるいは、日常生活の中でのお買い物。スーパーに買い物に行くと、様々な食材から大人は自分が必要だと思う野菜や魚や肉、その他いろいろな物をカゴに入れていきます。お菓子を買って欲しくて、お願いをしてみる子、要求を通したくてギャン泣きする子、選んだお菓子を手に嬉しそうにしている子なんてシーンも見ます。やがてレジに並んで精算をします。お金を払い、あるいは最近はカードを機械に挿したりかざしたりして精算をすると、買ったものを家に持って帰れます。この当たり前のことも、日々の生活の中で経験を重ねることで覚えるのです。有名なセレブ女優が、大人になってから銀座で買い物し、そのまま持って帰れると思ったら「お支払いを」と言われてビックリしたというエピソードを聞いたことがあります。普段はデパートの外商が家まで商品を持ってきてくれたり、買い物に行ってもお付きの人が支払うので、自分自身は買い物をした経験がなかったので、お金を支払うということを知らなかったのです。このことからわかるのは、経験がなければ大人も子どもも関係ない、「当たり前」が当たり前ではないこともあるということです。

  お家やご家庭でなければできない経験があります。園や集団でなければできない経験もあります。その両方の経験を重ねながら、子どもたちは成長していくのです。しかし、新型コロナ禍は、様々な経験の機会を奪い、特に集団での活動に制限をかけてきます。でも、巣穴にこもっていたのではできない経験や成長の機会を、出来るだけ子どもたちに提供したいと考えます。
これからの1年間、神様に守られて、子どもも大人も成長できるよう祈ります。

園長:新井 純

『園長ブログ カピバラのひげ』 | 02:11 PM | comments (x) | trackback (x)


新年度を迎え、早くも1か月とちょっと経ちました。
コロナ禍でまだまだ制限の多い中でも、子どもたちは本当に元気いっぱいです。
屈託のない笑顔にパワーをもらい癒される毎日を過ごしています。

今回はのあ・むぎの一日をご紹介します。



朝、登園したらまずは手洗い・うがいをして、それぞれ自分たちで荷物の用意をします。
登園した印にシールを貼ったり、ランチョンマットや手拭きタオル、水筒を出していくのですが、困った時には年長児である大羊の子どもたちが助けに来てくれます。

みんな揃うと、午前の活動へと移っていきます。



朝の「おあつまり」では、出席確認、今日の日付と天気を知り、午前中に何をして遊ぶのかお話を聞きます。
絵カードも使いながら、一日を流れを知って、「遊びのつぎは何をするのかな?」「給食のあとは何をするのかな?」と自分で確認もしながら、見通しを持って生活していけるようになっていきます。

午前中の活動を終えると、はと(年少児)・小羊(年中児)たちは午睡の時間。
たっぷり遊んで疲れた体を休めます。

大羊は午後からの活動が始まるのですが、この大羊だけが起きて遊べる時間がとっても特別感にあふれ、子どもたちにとっては憧れの時間なのです。
通称「おおひつじじかん」。
「きょうも おおひつじじかん ある?」『あるよー!』「いぇーい! やったー!」と、お昼寝せずに遊べる時間を楽しみにしています。





泥だんごはきれいな球体になってきて、ピカピカに光り出す泥だんごが登場する日もそう遠くない気がします。
そしてカプラ(積み木)はバランスを取る事が難しい積み方に挑戦する姿が増えました。崩れても諦めずに根気強く積み上げていっています。

ラキューは保育園では大羊になったら遊べるおもちゃ。
初めは平面でしか作れなかったものが、どんどん立体になって、恐竜に虫に乗り物、いろいろな作品が出来上がるようになりました!
制作あそびも失敗しながらも、イメージした物が思ったように形になって楽しそうです。

友だちと協力して取り組む事があったり、話し合う時間、じっくりと集中して遊んだり、おもいっきり体を動かしたりと、「おおひつじじかん」にしか出来ない遊びを満喫している大羊の子どもたちです。

午睡の後は、おやつを食べてエネルギー補給をし、お家の方のお迎えを待ちます家
簡単ではありますが、のあ・むぎの子どもたちの1日をご覧いただきました。

保育園でお友だちと一緒にいっぱい遊んで、時々ケンカして、喜怒哀楽いろんな気持ちを経験しながら、この1年が充実したものになればいいなと願います。

(大)

スタッフブログ::のあ・むぎチーム | 12:46 PM | comments (x) | trackback (x)
 

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