今年もゴールデンウィークが始まります(終わってから読まれる方もおられるかも)。今年は最長10日間だそうですが、間に挟む平日に仕事がある方もおられるし、休日だからこそ出勤しなければならないサービス業の方もおられるでしょうから、必ずしもみんなが連休になっているわけではありません。それでも、ゴールデンウィークだと騒ぐのは、やはり連休になる人たちの方が多いからなのでしょうか。新型コロナ第7波が心配されながらも観光地にはお客さんが戻って来て、それなりに賑わいを取り戻しているとの報道を見ると、この連休は京都も賑やかになりそうです。
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3月末のことです。インドネシアのサッカー場で、試合前に選手たちが「戦争反対」のバナー前に立って、ウクライナを支持するアピールを行いました。ところが、二人のパレスチナ人選手がそこに並ぶの拒否したので、そのことが話題になりました。一人が言います。「公平さも正義もない」
パレスチナは、長い間イスラエルからの大きな暴力に苦しめられています。イスラエルはパレスチナからのテロ行為に報復するためだとして、パレスチナを爆撃することを正当化していますが、パレスチナからすると日常的に理不尽な暴力にさらされ、空爆をはじめさまざまな攻撃によって犠牲を強いられているので、そのことへの怒りが爆発して反撃をすると、「テロ行為だ」と断罪されるという不満を抱えています。
くだんのサッカー選手は、そうした理不尽な暴力を世界にアピールしようとして、かつて戦争反対を訴えようとしたそうです。でも、その時は国際サッカー連盟から「サッカーと政治は別物」「そのようなアピールは規則に反する」と言って、アピールさせてもらえませんでした。なのに、今回ヨーロッパで同じようなことが起こった時、当たり前のように戦争反対を訴えることが許されるのはなぜだ?というわけです。
この選手は、ロシアを支持しているわけではありません。ウクライナ侵攻を支持しているのでもありません。戦争には反対なのです。でも、中東やアラブ人が蔑まれていると感じないではいられない状況の中で、公平であることを求めたのです。
この記事を読んだとき、ドキッとしました。確かにこの選手の言う通りです。パレスチナにどれだけ想いを寄せただろうか?アフガニスタンはどうだ?ミャンマーは?
欧米諸国は正義、東側は危険、中東はもっと危険、そんな短絡的な決めつけをして来たつもりはありませんが、私の中で公平ではなかったとの思いは沸々と湧いて来ました。戦争反対を訴えることは良いこと、当然のことだと認識していますが、果たして全ての戦争について同じ思いでいただろうかと、顧させられたのです。
思いは、いつも自分が思っているのと同じように受け止められているわけではありません。逆の立場になれば、汲み取れきない思いもあるし、想像から漏れている事柄もあることを自覚します。それでも、想いを受け止めてくれる人が一人でもいることを知れば、わたしたちは希望を抱き続けることでしょう。なぜなら、それが公平の第一歩だからです。
園長:新井 純