先日、世光福祉会の障がい者施設ベテスダの家の利用者のお父さんが天に召されました。教会でお葬式をすることになったので、その方がどのような人生を歩んで来られたのか、ご遺族からお話をお聞きしました(※教会で葬儀をする場合、牧師は式の説教で故人の人生を振り返りながら聖書のお話やキリスト教の死生観を語るため、ご遺族に取材をします)。

子どもが成長するにつれ発達の遅れが目立つようになり、やがて重度の障がい児であることがわかりました。親戚がお母さんを責めました、「こんな子を産んだのはあなたのせいだ」そして、お父さんに言います。「早く離婚して新しい家庭を作った方が良い」お母さんは、これが世間一般の考え方だと思い込み、なるべく子どもを家に閉じ込めておこうと思いました。その方が自分も傷つかないし、子どもを守ることにもなるのだと考えたからです。

しかし、お父さんは違いました。お父さんはこの事実をあっさり受け入れ、その上で我が子に最善を尽くそうと考えたのです。仕事から帰ってくると、毎日のように自転車に子どもを乗せて、あちこちお出かけをしました。夕方のひと時ですから、30分〜1時間程度のことだったと思うのですが、その様子をご近所の方は、とても微笑ましく見ていたのでした。

 そして、お父さんは言われのなき偏見で妻を責める親戚との関係を断ち切ったのです。
 
ご遺族からお父さんの人生をお聞きし、本当の愛を知っていた方なのだと心から思いました。家族を大事にするのは当たり前のように思われるかもしれませんが、人間はそこまで強いものとは限りません。正しい認識と冷静な判断、何よりも自分だけでなく隣人のことにも思いを馳せることのできる想像力がなければ、「当たり前のこと」を行うことはできません。まして、今回のケースで言えば、現在以上に障がい児への差別や偏見が激しかった時代のことです。障がい児を抱えて生きていくことは、辛い思いや悔しい思いの繰り返しだったことは想像に難くありません。それでも、共に生きることを喜びとして表現することで、そうした差別や偏見を覆し、かけがえのない一つの命を大切にすることの尊さを多くの人に分かち合っていくことができたのではないかと想像しました。

 隣県の某市長が「子どもの不登校は親の責任だ」などという発言をしたとのニュースで聞き、憤りを禁じ得ませんでした。じゃあ、いじめの問題はどうなの?不適切な指導をする不適格な教師の問題はどうするの? ツッコミどころが多すぎます。フリースクールが国の根幹を揺るがす問題だなんてことも言ったそうですが、ちゃんちゃらおかしい。この市長、発言に対する抗議が想像を超えたからでしょう、謝罪をしましたが、「誤解を与えるような発言をした」などと言い、全く反省なく誤魔化しました。思い込みの偏見で発言し、無知であることを自覚もできず、誤った認識による発言を撤回できないような人が政治家に選ばれることこそ、国の根幹を揺るがす大問題です。

私たちは、自分のことだけでなく、家族を含め周りを取り囲むたくさんのかけがえのない命に、もっと心を配るべきなのだと、改めて思います。特に、大人に頼るしかない子どもの命に、心を込めて向き合いたいと思いました。
園長:新井純

8月に日本列島を襲った台風の影響で、京都府北部も豪雨によって被災しました。福知山市では社会福祉協議会がボランティアセンターを開設し、小規模ながら災害ボランティアの募集と派遣を行なったようです。

それらが終わり、平静を取り戻したかに思えた9月初め、教会関係者から「ボランティアがやりきれなかった土砂除去の集中作業のために人を集めて欲しい」と依頼があり、取り急ぎ関係者数名で現地を訪れました。

現場は、福知山市の由良川沿いの山間部の集落で、小さな谷間の斜面で土砂崩れが発生、それが谷の沢で土石流となって下の農家を襲いました。幸い、山側の庭木が防壁のような形になったため、大木などが家屋を直撃するのを防ぎ、母家に甚大な被害をもたらすことはありませんでしたが、細めの流木や竹、拳程度の大きさの石を含む大量の山土が敷地内を埋め尽くし、母家の床下にも入り込んでいました。

家屋の周りや庭は、重機を入れなければならないと思われました。言い方を換えれば、重機を入れればある程度解決しそうでした。問題は、母家の床下です。床下に流れ込んだ木の根っこや石を含んだ汚泥は、風通しが悪いために乾かず、ドブ川のような異臭を放ち始めていました。このままだと湿気で居室にカビが生えたり、異臭によって住宅として機能しなくなります。従って、速やかに汚泥を除去しなければならないのは明白でしたが、床下は人力でやるしかありません。

急ぎ、仲間内でボランティアを募集し、翌週2日間の汚泥除去作戦を決行しました。

2日間で、延べ30名近くの協力を得て、床下の汚泥除去作業が行われました。畳の部屋は畳を上げて床板を外し、そこから泥をすくい出します。板床の部分は、床下に潜り込んで園芸用スコップで少しずつ泥をかき出します。私は床下に潜るチームを担当しましたが、「よし、誰が入る?」と声をかけても、皆が顔を見合わせるだけなので、まずは私自身が突入することになりました。もちろん、私が入れば皆は後に続くので、その後は皆が興味とやる気を持って、普段入ることなどないはずの床下に潜り込んで、泥かきに精を出しました。全身泥だらけですが、頑張った!と胸を張るみんなの顔は輝いて見えました。

 私には災害ボランティアをやるようになったきっかけがあります。2004年、当時暮らしていた新潟で水害が起こり、ボランティア受け入れの手伝いをしました。その時、先輩牧師がこう言ったのです。「私は、隣を通り過ぎない者でありたかった」これは、善いサマリア人という聖書のたとえ話に由来します。強盗に襲われ瀕死の重傷を負った旅人の横を、神殿に仕える祭司やレビ人が見て見ぬふりをして通り過ぎて行きます。でも、普段敵対しているサマリア人は、その人を見つけるなり、手当をし、安全な宿屋に運び込んで介抱したのです。さらに、宿屋の主人にお金を渡し、介抱を託しました。イエス様はおっしゃいました。「誰がこの人の隣人になったと思うか?」

 誰もが、どうすれば良いのかを知っています。ただ、さまざまな事情でその一歩を踏み出せないのです。でも、日常の小さな親切なら誰にでもできます。そういう小さな親切を行う姿を見せながら、助け合う心の大切さを子どもたちに伝えられる大人になりたいものです。 
園長:新井 純

それにしても暑い夏でした。いや、まだ続いてますね。1日も早く収まって欲しい猛暑です。

夏は様々な経験ができ、子どもたちもグッと成長すると言われています。経験は知恵や力の基となり、生きるための引き出しを増やします。全ての経験が実りをもたらすわけではありませんが、それでも実際に経験したことで身に付くものは厚みが違います。大人にとっては、子どもがいるために出来ないこともあってもどかしいと思うこともあるかもしれませんが、見方を換えれば今子どもと過ごす時間は今しかありませんから、存分に味わい尽くしてください。

先日、コロナ禍で中止されてきたために4年ぶりの開催となった、日本キリスト教保育所同盟の夏季保育大学という研修に参加いたしました。「当たり前はアタリマエ?」というテーマのもと、アイヌ民族のことや、精神障がい者が病院や施設に隔離されるのではなく社会の中で生きていくためにはどうしたら良いのか、その支援をしている「浦河べてるの家」の当事者研究という手法について学んでまいりました。

私たちには、知っていそうで知らないことや、気づいていないまま流してしまっていることがたくさんあります。また、自分の感覚を正しいと思い込み、それが常識だと思っていることが多いのですが、それが他の人と違うということや、確かに自分の常識が多くの人と同じだとしても、それとは違う考え方をしている人たちが少なからずいるという場面に出くわすことがあるものです。その時、あくまでも自分が信じてきた(思い込んできた)事柄や考え方が正しいという立場を崩さないのか、あるいは、知らなかった!という新しい気づきを与えられたという視点に立つのかでは、その後の在り様に大きな違いを生み出します。

 例えば、50年前札幌冬季オリンピックが開催された際、NHKのアナウンサーは日本と世界に北海道を紹介するために「無人の大地を切り開いてきた」と語ったそうです。なるほど、確かにそういう苦労のもとで開拓してきたんだな、と感心する方も多いかと思いますが、先住民族であるアイヌの人々にとっては、自分たちが暮らして来た大地に大和から乗り込んできた大和民族が、自分たちの生活や文化を破壊しながら開拓を続け、我が物顔で振る舞いつつアイヌを蔑み、排斥していったという苦々しい思いがあります。何が「無人の大地」かと。言葉のあやではすみません。自分たちの存在が、「無」とされたのですから。でも、教科書では「蝦夷征伐(えぞせいばつ)」と記され、あたかも北海道を制圧したことは良いことのようにさえ教えられたのです。

 こういう時は、逆の立場に立って想像してみるのが一番です。もし私が突如平安な日々を奪われ、強引に他の文化や価値観を押し付けられたらどう感じるだろうか? これが私たちの国の中でも起こったのです。私たち自身が考える「当たり前」は、別に人にとってはそうじゃないということがあるのだと、改めて心に刻みました。

 ところで、研修初日、札幌市は観測史上最高気温を記録し、その後これまた史上初の3日連続猛暑日を記録しました。もともと涼しい場所柄、冷房普及率は低く、研修会場はサウナと化しました。期待したのは「涼」だったのですが、それもまた当たり前ではなかったようです。
園長:新井 純

園医である「もり小児科クリニック」の森先生から、今年も絵本のプレゼントが届きました。

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森先生は毎年クリスマスに絵本を贈ってくださいます。しかも、乳児から幼児までが楽しめるように、幅広い対象年齢に対応すべくたくさんの絵本をお選びくださいます。
絵本は子どもたちの心や発想力などを豊かに育みます。感謝して子どもたちと楽しみたいと思います。

森先生、ありがとうございました!

園長   新井純
26年前、広島の教会に赴任しました。旧広島空港があった広島飛行場の近くの住宅地にある教会で、原爆ドームまで自転車で20分くらいのところでした。

広島市は太田川という大きな川が市街地上流部で5本に分かれて広島湾に注ぐ、その中洲に造られた街です。河口の中洲ですから海抜は低く、またベースが 砂泥地なので地下街や地下鉄を造るのが難しく、今も市内には路面電車が走っています。確か、かつて京都市内を走っていた路面電車の車両も走っていたはずですが、同時にヨーロッパから輸入された近代的な「グリーンムーバー」と呼ばれるカッコ良い電車も走っており、「鉄ちゃん」にはたまらない街かもしれません。

 この路面電車の1本は、広島湾に面した宇品港に向かって伸びています。四国や瀬戸内の島々を結ぶフェリーが頻繁に出入りする港ですが、瀬戸内の島々に守られた湾奥に位置していたため、かつては旧日本海軍の重要な軍港として用いられていました。実にこの路面電車は、軍港に人や物資を運ぶために敷設されたものだったのです。

 1894年には、日清戦争を前に広島城跡に大本営が置かれました。大本営とは、戦争の指揮を取る本部のようなものです。翌年日清戦争が終結し、大本営は京都へ移っていきますが、その後も軍港を抱える広島は、戦争の際に重要な役割を担っていきます。

 宇品港を少し南下したところには呉市があります。あの有名な戦艦大和が建造された母港です。戦艦大和は当時世界最大級の戦艦として太平洋戦争が始まる前に就役し、敗戦直前、沖縄に特攻し轟沈しました。呉市にある通称大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)には、大和の建造から戦争時の役割に至るまで細かな展示がされていて、当時の人々が大和にどれだけ大きな期待をかけていたのかがわかります。

 そのような軍事的に重要な場所であった広島界隈ですから、戦争になればターゲットにならないはずがありません。しかし、東京や大阪でさえ大空襲を受けたのに、広島をはじめいくつかの地方都市は大きなダメージを受けないでいました。それは、原爆の成果を測るためだったと言われます。実際、原爆の投下対象となっていた地方都市は11ほどあったと言われ、いずれも大きな空襲を受けていないと言います。投下当日も九州の小倉ほかいくつかのターゲットがあり、その中から当日天候の良かった広島に確定したとされています。

 広島在任中は、被曝された方や被曝二世と呼ばれる方々に多く出会いました。そして証言を聞くのですが、教会員だった児玉さんという年配女性の被曝体験は、何度も何度も繰り返し聞かされているうちに、私自身がそれを体験したのではないかと勘違いするほどこの身に刷り込まれていきました。話を聞くたびに触らされた彼女の腕の中に残されていたガラス片の感触は、今も確かに指先に残っています。

 世光保育園は、8月初めに「平和を考える集い」を行い、子どもたちと一緒に平和の大切さを考えます。同時に、争うことの愚かさを学びます。そして、年長児には私が児玉さんから聞いた被曝体験を語り聞かせます。切ない体験を共有することで、命こそ宝であるという思いを、お互いに心に刻みたいと思っています。
  園長:新井 純

5年前、バングラデシュの田舎の村で、就学前の子どもたちに読み書きや生活習慣を指導しているプレスクールの先生たちと意見交換をしていた時のことです。夢はありますかとの私の問いに、高校を出るか出ないかくらいのひとりの凛とした女性教師が「将来は警察官になりたい」と答えました。

 彼女は母子家庭で、学校に通うお金を稼ぐために現地NGOのプレスクールの先生としてアルバイトをしていました。月収は1,500円。十分な金額ではありませんが、大人の労働者の平均月収が7,000〜1万円であることを思えば、高校生のバイトとしては破格の条件ではあります。だから、彼女にとってプレスクールの教師として選ばれたのはとても運が良いことと同時に、将来を期待されるほどの人材であったとも思われます。

 しかし、警察官になるのは彼女にとって極めて難しいことでした。なぜなら、警察官の試験に合格するためには「賄賂(わいろ)」が必要だからです。私たちの常識で考えるなら信じられないことではありますが、公務員として高額な給与が保証されるだけに、発展途上の彼の地ではそのようなことがまかり通ってしまうのです。

そんな、かつてはアジア最貧国とまで呼ばれたバングラデシュに、4年ぶりに行ってまいりました。日本キリスト教保育所同盟が支援しているプレスクールの視察と、より有効な支援のための現地NGOとの協議、そして子どもたちやスタッフとの交流を目的とした旅です。これまでに世光保育園の保育士も、2名が現地を訪れています。今回は次年度以降の保育士たちのための現地研修の可否判断やルート検討なども兼ねていました。

インドの東隣にあるバングラデシュは、農業と繊維産業が盛んで、近年は日本をはじめとする諸外国のアパレル企業が進出しているために、急速に近代化が進んでいると言われています。試しにユニクロの製品をお持ちなら、製品タグを確認してみてください。Made in Bangladeshと書いてあるものが案外多いですよ。

近代化していると言われてみれば、確かに首都ダッカと地方都市を結ぶ道路の整備や、鉄道の整備は急速に進んでいるように感じました。まだ開業はしていませんが、日本企業が参加している鉄道整備事業で「自動改札」が導入されるとか。客車の屋根に人が群がるバングラの列車を知っている身としては、果たして自動改札が意味をなすのか大いに疑問ではあります。それでも、海外の支援に頼り切っていたバングラデシュ人が、「自分たちの税金で大きな橋をかけた」と胸を張って話しているのを聞くと、こちらまで嬉しい気持ちになるのでした。

村を訪れると、警察官になりたいという夢を持っていた先生の子どもを紹介されました。2歳くらいでしょうか、人見知りしない男の子で、私に抱かれてもニコニコしていました。でも、お母さんには会えませんでした。出産時のトラブルで命を落としてしまったのだそうです。新生児〜2歳児までの死亡率が高い国のことですし、日本だったら助かっただろうかなどと色々思い巡らせました。私たちを歓迎しつつも、娘のことを話した後涙ぐむおばあちゃんを見ていたら、かけがえのない命を生きるということは、ただそれだけで尊いことなのだと思い知らされました。バングラデシュでも、もちろん日本でも。
園長:新井 純

某金融会社の「始めたいこと、始めようプロジェクト」という広告を見て、面白そうだなと思い応募してみました。数ヶ月後、応募していたことも忘れていたのですが、書類審査に通ったので面接を受けて欲しいとの連絡があり、オンライン面接を受けることになりました。

よくよく聞くと、最終的なチャレンジをするまでの過程を、日常生活まで含めて撮影をする、いわゆる密着型のドキュメンタリーになるそうで、Web広告に使われるくらいだろうと軽く考えていた私は、腰がひけてきました。なのに、面接後にこれまた色々と写真を送って欲しいと連絡が来て、ますますビビり始めました。だから、最終選考で競り負けたと連絡が来た時は、正直ホッと胸を撫で下ろしたのでした。

自分で言うのも何ですが、子どもの頃から好奇心は旺盛で、スイッチが入ると後先考えずとりあえず突っ込んで行く傾向があります。それで失敗したり、恥をかいたり、後悔したりということも少なくありません。それでも、私の親は私がしたいと思ったことに挑戦させてくれましたし、たとえ三日坊主で終わっても叱られるということはありませんでした。

保育に携わるようになり、保育を学び始めて気づいたのは、「興味を持った時が教えどき」だということです。自分自身を振り返ってみるとよくわかるのですが、興味を持っていることには熱心に取り組むし、そこで学んだことはよく吸収します。しかし、誰かに「させられたこと」は、なかなか覚えませんし、その時間は苦痛です。

そうなると、興味を持った時にそれを学べる、あるいは実行できる環境が整えられるというのは、実に幸せなことです。もちろん、前述の私が経験してきたことのように、全てが続くわけでもないし、身になるわけでもありません。特に、子どもの興味は移り変わりやすいですから、むしろ続くと期待してはいけないのかもしれません。

たとえば、絵本を読んでいると、いつかのタイミングで字に興味を持つようになります。4〜5歳くらいでしょうか、「これなんて読むの?」と聞かれるようになったら、まさにその時が教えどきとでも言いましょうか。もっと早い段階で字を教えようと思って、イラスト付きのアイウエオ表を使ったりすれば、確かに覚えるのです。でも、それが後の学習能力に著しく有利になるかと言えば、そんなことはありません。「小さいのに、もう字が読めるの!」って喜ぶのは大人だけです。はい、長男でそんなことをしていたのは私です。

でも、次男の時はやめました。そんなことより、色々なことに興味を持つための工夫をした方が、面白いことを始めるのではないかと気づいたからです。「トトロを探しに森に行こう!」とか「サンショウウオを育てよう!」とか「(雪国だったので)白うさぎの足跡を見つけよう!」とか「朝ごはんを作ろう!」とか。「それは、全部あなたがしたいことなんでしょ?」と妻には言われそうですが、まあいいじゃないですか、パパが楽しそうにしていることを一緒にできるのですから。

子どものしたいことを全て整えられるわけではないし、今それが必要かどうかも吟味する必要はあります。その上で、大人がさせたいと思うことではなく、子どもが興味を持ったことを深めることができたら、それは確実にその子の力にはなるということです。 

園長:新井 純

昨年11月末、ドイツを訪れました。ケルンでドイツ語を学びながらブリュッセル(ベルギー)の教会で宣教師として働く後輩牧師がいたのですが、その働きを支える支援会の責任を私が担っていたので、一度様子を確認し、励まそうということになったのです。戦争によってロシア上空を飛べないために、北極の上空を飛ぶロングフライトは13時間以上でした。ただ、北極を越える時、小さいながらも機窓からオーロラを見ることができたのはラッキーでした。

フランクフルト空港に到着し、ICEという特急列車でケルンまで小一時間、ケルン中央駅を降りて外に出ると、世界遺産のケルン大聖堂が目の前にドーンとそびえ立って出迎えてくれました。私にとっては初ドイツ、初ヨーロッパ。テレビや写真など、映像でしか見たことがない景色が目の前に広がり、見るもの、聴く音、匂い、気温、風など、異国の地に立っていることを感じながら、あらゆる感覚を覚醒させていきました。

クリスマスの準備を始めるアドベントに入ろうかという時期だったので、各地でクリスマスマーケットが開かれていました。クリスマスにちなんだグッズや食べ物屋さんなど、何十軒もの屋台が並ぶお祭り広場的なものです。クリスマスの飾り付けをするためのデコレーショングッズがたくさん並んでいるのを見て、日本のクリスマスマーケットももっと充実して欲しいなと思ったのでした。

数日かけてケルン近郊やブリュッセルを訪れた後、バルセロナ(スペイン)に飛びました。「バルセロナ日本語で聖書を読む会」という日本人クリスチャンの集会があり、時々オンラインで参加していましたが、せっかくならバルセロナまで足を伸ばし、対面で聖書のお話をして欲しいと招かれたのでした。これが忘れ得ぬ体験になったのです。なぜなら、集会の会場が世界遺産でもあるサグラダ・ファミリア教会だったからです。

観光客が見学できる大聖堂の一角から地下に降りると、250人以上が入れる立派な地下聖堂があります。集会はここで行われました。参加者はわずか10名強でしたが、ガウディが設計した説教台の前に立って聖書のお話をさせていただいた機会は、今思い出しても震えるほどレアな体験でした。

人生には予期せぬ様々なイベントが発生するものです。良いものばかりでなく、望まないイベントの発生も避けられません。でも、私たちは与えられた命を生きるほかありません。だとしたら、せっかくなら楽しんだり、納得して受け入れるなりして、前向きな気持ちでありたいと思います。その方が気持ちが豊かになりますから。

そうそう、ドイツ&ベルギーに派遣された後輩牧師は、言葉も習慣も全くわからない異国での生活に緊張しっぱなしだったようで、私たちの訪問をとても喜んでくれました。滞在中行動を共にしながら、彼の地での体験をあれこれ聞く中で、やはり、旅をはじめ、様々なチャレンジは人間を成長させるんだなと、自らの体験をも振り返りながら思うのでした。子どもたちはもちろん、大人もまだまだ成長できますよ!

園長:新井 純

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※サグラダファミリア教会での礼拝の様子です。
YouTube内「よろちゅーぶ」で検索してもご覧いただけます。

アントニ・ガウディという建築士をご存知でしょうか。独特に色彩感覚を持った人であるということ、スペインのサグラダ・ファミリア(聖家族教会)の設計者と言えば、その名前を思い起こすことができるかもしれません。

 ガウディについて、そんなに興味を持っていたわけではありません。前述したサグラダ・ファミリアの設計士という程度の知識しかありませんでした。しかし、彼がどのようにして設計をしていたかを知った時、大きな衝撃を受けました。彼は、自然な曲線美を作るために、「逆さ吊り模型」というものを考案していたのです。

 逆さ吊り模型というのは、例えば板に細いチェーンのようなものの両端を取り付けます。それを長短合わせて何本も取り付けたとします。板の上でチェーンはグチャッと無造作に置いてあるように見えます。でも、板をひっくり返すと、チェーンは下に垂れ下がって大小様々なU字(V字?)状を作り上げます。これの下に鏡を置くと、あら不思議!鏡には綺麗な逆U字(逆V字?)状の鎖の弧が、まるで立っているように写し出されるではありませんか。重力によって垂れ下がった鎖によって作られた自然なカーブを、鏡に映すことであたかも立ち上がっているもののように見るという手法、これが逆さ吊り模型です。「て、て、天才や・・・」と、俄然ガウディに興味を持ったのでした。

 彼が設計した丘の上にあるグエル公園というところには、土と石のようなもので天井と柱が造られた回廊がありました。人工物なのに、樹の根っこで天井を支えているかのように見えました。実にガウディは、神様が創られた自然の美しさを設計に取り入れ、逆さ吊り模型を使った曲線美も、自然の美しさを模倣するためだったのです。

 あの有名なサグラダ・ファミリアを見学した時には、そのほとんど全てが自然美からインスピレーションを受けたデザインであることがわかりました。大聖堂は森の中にいるような錯覚を覚え、塔に登って降りる時に使う螺旋階段は、上から見下ろすとアンモナイトのように見えました。

 それらを見て、おそらくそれまで建築の常識とされてきたことに捉われず、自由な発想で設計をしたからこそ、唯一無二の建築士になれたのだということは、容易に想像できました。もちろん、最初から認められていたわけではなく、彼が建築を学んだ学校の校長は「狂人なのか天才なのかは、時が明らかにする」と語っていたそうです。

 子どもたちの成長を見守る中で、周りの子と同じように育って欲しいとか、同じような感覚を身につけて欲しいと願う大人は多くいます。それは当然だと思いますし、私もその一人です。何でもかんでも個性的であることが推奨されるものでもありません。社会は協調性を求めているのです。

 一方で、それゆえに個性的であることが否定されてはならないとも思います。個性は神様からの賜物であって、程度の差こそあれ、全員がその賜物を得ているのです。その賜物の違いが、社会を豊かなものにしてきたのです。だから、個性は潰されてはならないのです。

矛盾に聞こえますか?いえ、能力を発揮する場面では、個性的であることは認められるべきだと考えているのです。  
園長:新井 純

新年おめでとうございます。コロナ禍で迎える3回目のお正月でしたが、行動制限等がなかったことで、昨年より帰省や旅行がしやすかったようです。遠くにいるおじいちゃんおばあちゃんに会いに行った子どもたちもいたことでしょう。12月から再び感染が拡大し、園でも何人もの感染者報告がありましたが、早く治療薬が作られ、この禍が過ぎ去って欲しいと願う日々です。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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ナスルディンという男が、自宅前の庭の芝生に這いつくばって何かを探しています。通りかかった友人が尋ねました、「何を探しているんだい?」すると「鍵だよ」とナスルディンが答えました。鍵を無くしたのなら、さぞ困っていることだろうと、友人は一緒に探すことにしました。

 ところが、いくら探しても見つかりません。さほど大きな庭でもないので、何度も同じところを繰り返し探しましたし、二人がかりなら見つかっても良いはずです。そこで友人が「どのあたりで無くしたか、心当たりはあるかい?」と聞くと、ナスルディンは「家の中だよ」と答えました。

 「はあ?家の中で無くしたのに、なぜ庭で探しているんだ!」友人が呆れて問うと、ナスルディンは言うのです、「だって、家の中より外の方が明るくて探しやすいじゃないか」

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 馬鹿な話だと思うでしょ。はい、本当、何をしたいんだか、と失笑するのですが、実は笑ってばかりもいられません。なぜなら、実は私たちも同じようなことをしているかもしれないからです。

 そんなはずはないって?いいえ、例えばこういうことです。困ったことが起きた時、トラブルに遭遇した時、その原因を見つけ出して解決しようとするわけですが、原因を解決しやすそうなところに見出そうとしてしまいがちではありませんか。言い方を換えるなら、自分に都合の良い解釈をしたり、理由づけをしようとし、本当の問題点を見つめようとしないということです。

 真の原因を見つめられなければ、問題は解決しません。原因は、例えば自分にあるかもしれないし、耳の痛い話や、自尊心を傷つけられることかもしれません。でも、原因がそこにあるなら、それを解決しなければなりません。全然違うところを見つめて、なんとかそこに原因らしきものを見出そうとし、それで問題に取り組んでいるように思うのは勘違いですし、時間と労力の浪費です。

 とは言っても、私たちはそういう無駄なことを繰り返すものですし、責任逃れだってしたくなるものです。いつでも、どんなことでも真っ直ぐ進めるものではないし、問題解決だって最短ルートでできるものではないのです。はい、それが人間なのです。

 大事なことは、回り道をしようが、無駄や遅延が生じようが、結果的に問題が解決するための努力を続けることでしょう。ナスルディンだって、探しやすい庭ばかりを探して見つけられなければ、最終的には鍵を見つけるために家の中を探し始めるでしょう。その決断に至るまでの無駄は、結果を見れば無駄ではなかったと言えるかもしれません。 
園長:新井 純


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