園医の森先生がたくさんの絵本をプレゼントしてくださいました。その中に「からすのせっけん」という作品がありました。
先日、幼児のクラスで保育士がこの本の読み聞かせをしたところ、困惑する事態に陥ったようです。というのは、子どもたちが絵本に出てくる「固形石けん」というものを知らなかったからです。固形石けんそのものを知らないので、使い方はもちろん、石けんが使っていくうちに小さくなっていくという物語の面白さそのものが伝わらなかったらしく、自分の中での当たり前が当たり前ではなかったことに保育士はジェネレーションギャップを感じ、動揺したのでした。
言うまでもなく、最近は液体石けんが主流で、しかも手のひらに出した時点で既に泡になっています。石けんは泡立ててから洗うことで汚れやばい菌をうまく浮き上がらせて流すので、最初から泡の状態で出てくるのはとても便利なだけでなく、衛生的にも効果の高い改良です。
一方で、泡になるボトルしか知らなかったらどうなるかを想像してみるのです。同じ液体石けんでも液のまま出てきたら、それを上手に泡立てなければなりません。ましてや固形石けんなら、まず最初に手と一緒に石けんも濡らし、これをこすって石けんを手のひらに移していかなければなりません。ちょっと経験すればできるようになるとは思いますが、慣れないとハードルは高いかもしれません。実際、担任は家から固形石けんを持ってきて、子どもたちに使わせてみました。すると、案の定泡立てることが出来なかったそうです。そこで画用紙を固形石けんの大きさに切り、子どもたちに固形石けんの使い方を教え、石けんが小さくなっていく様子を毎日観察するようにしたのでした。
仕様が変わったために使い方がわからなくなっていく例は他にもたくさんあるでしょうし、今後ますます増えていくでしょう。それは決して悪い事ではないし、不都合だと決めつけるものでもありません。例えば、火打ち石で火を起こしていたのが、マッチを擦るだけで良くなり、次にライターに変化していき、さらにはコンロなんかだとつまみをひねるだけで着火するようになりました。IHコンロなんて、火さえないのに煮炊きが出来るのですから不思議です。それが当たり前になった世の中を生きていると、いろいろな物や事が便利になり、それだけ生活も快適になっていくのですから、良い事づくめのようにも感じます。
ただ、ふとしたことで「便利」じゃなくなることもあります。自然災害はその最たる例です。「便利」が一瞬にして役に立たなくなるのです。その時、「便利」に頼り切っていたら、途方に暮れるだけです。
ですから、便利の中に埋もれながらも、時には不自由さを味わったり、経験することも必要なことではあります。そこには生きる力を養う知恵が満ち溢れていて、便利を作り出すプロセスを垣間見ることもできるでしょう。つまり、不便で不自由なのに、豊かな経験を生み出すのです。
不自由を経験し、もっと便利に!と思った子どものたちの中から、ロケットを飛ばす天才が生まれるかもしれません。
卒園生、卒園おめでとう。
在園生、進級おめでとう。
園長:新井 純