「私は長年祝福されて生まれてくる命ばかりを見てきました。でも、そうではない命があることを知り、黙って見過ごせなくなったのです。」この夏に参加した研修で、講師のお一人であった公社)小さないのちのドア代表理事である永原郁子さんが発した言葉でした。助産師として働いてきた永原さんは、望まない妊娠で悩む女性たちや、人工妊娠中絶を選択し、そのために苦しみ続ける女性たちを見て、最も小さい命である胎児や新生児、そして弱い立場に置かれている女性たちが大切にされる社会の実現を目指し、24時間365日の相談事業「小さないのちのドア」を設立しました。設立後2024年3月末までの5年7ヶ月間で寄せられた相談件数は59,955件だったといいますから、こうした相談窓口が全く足りていないということがよく分かります。

  熊本県にある慈恵病院が赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を開設し世間が大きな衝撃を受けたのをご記憶の方もおられると思います。賛否両論渦巻く中、当時の理事長と看護師長をお招きして講演していただいた時の言葉を思い出します。「もう我慢ならん。待ったなしだった。」新生児が駅のコインロッカーに遺棄された事件が続いた時に、炎上覚悟で赤ちゃんポストの開設を決断したとのことでした。実はこの時最も驚いたのは、こうのとりのゆりかごがスタートして2年が経とうとしていたのに、講演依頼をしたのが私たちが加盟している日本キリスト教保育所同盟が初めてだったということでした。賛成であろうと反対であろうと、どのような思いでこの事業を始めたのか、その思いにきちんと耳を傾け、必要なら失礼承知であろうと疑問に思ったことはなんでも尋ね、理解を深めるための議論を重ね、その上で自分なりの意見を持てば良いのに、世間は設立者たちの思いは聴かず、ただイメージと思い込みだけで賛否を語っていたことになるのです。なんとも無責任な社会です。

 こうのとりのゆりかごも、小さないのちのドアも、根底には望まない妊娠や出産という問題があります。しかも、ほとんどが女性一人で悩んでいるようです。一人ぼっちでどれほど怯えながら心細い思いをして悩み苦しんでいたのかを想像すると、切なくなります。だからなのでしょう、永原さんは、特に中高生が妊娠した際に大人たちにこう言うそうです。「今は怒る時じゃないです、支える時です!」周囲の大人たちがその問題を知って抱えるストレスを本人にぶつけたところで問題は何も解決しないどころか、本人をますます孤立させ、関係を破壊していくだけです。怒りもするしストレスも抱えるでしょう。でも、そういう時だからこそ「もし私が同じ立場になったら?」という想像力があるか否かが問われます。

 自己責任論が強い日本では、社会全体でこうした問題を受け止めようとはしません。いわゆる里親や特別養子縁組などを含む社会的養護が弱いということです。私が初めてアメリカへ行った40年前、ホームステイした家の長男は黒人でした。両親含めその他の家族は全員白人なのに。そのことを思い出しながら、かけがえのない命が守られ、尊重される社会として成長していくことを諦めないようにしようと思いました。
園長:新井 純


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