新年度を迎えました。在園児はすでに新チームでの保育が始まっており、今日からは新入園児を加えて本格始動です。この1年も子どもたちが健やかに成長することを祈り願いいつつ、共に歩んでまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
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先日卒園式が行われました。昨年度は26名の園児が卒園していきました。長い子ではこの園で6年間過ごしたので、その成長を見守ってきた職員たちも感慨深くこの式に列席しました。式の中で「思い出のアルバム」というプログラムがあります。1年の歩みを振り返り、特に思い出として残っていることを一人ひとりが発表し、その季節に歌っていた歌を皆で歌うのです。春の山登り、夏のプール、秋のあそぼう会、クリスマスページェンと、冬の餅つき郵便屋さんごっこ等々、あんなこともあったね、こんなこともあったね、と思い出しながら、子どもたちの言葉に耳を傾けます。
今年も思い出のアルバムの発表があったのですが、一人の子がこのような発表をしました。「平和の話をたくさん聞きました。広島の原爆の話を聴いた時は怖かったです。ぼくは戦争が嫌いです。だから、大きくなったら戦争を止めに行きます。」驚きました。
私たちの園では、夏に戦争の愚かさや悲惨さ、そして平和の大切さやそれを守ろうとする努力の尊さを一緒に考え、学びます。8月初めには「平和の集い」というものを開催し、給食もあえて粗食にするなどの疑似体験もしています。その中で、園長が広島在任時に出会った被爆者との交わりや、その方から繰り返し聞かせていただいた被爆時の体験談などを子どこたちにも語り聞かせています。そうした取り組みを続けてきた中で、「戦争が嫌いだから、止めに行く」という発想が出てきたことにとても驚きつつ、感動しました。
正確に言えば、戦争は良くないとか、戦争がなくなれば良いという言葉は子どもたちの口からもよく出てきます。しかし、具合的に「止めに行く」と言った子に出会ったのは初めてでした。
同時に、はて?この子はどうやって戦争を止めると考えているのだろう?と思い巡らせました。そのことを担任に尋ねてみると、その子は自衛隊の隊員のような絵を描いていたそうです。なるほど、そういうことか。
厳密に言えば、防衛のためとは言え武器を持って戦うことになれば、相手を傷つけ、あるいは自分が傷つけられることになりますから、戦うことを容認しないキリストの教えには添いません。でも、今ここでそれを言うのは野暮だと感じました。戦争によって傷つき傷つけられている多くの人々のことに思いを馳せ、この苦しみや悲しみから一刻も早く人々を解放するために、自分がその渦中に飛び込むのだという心意気は、純粋に平和を願うものだと思ったからです。もちろん、太平洋戦争の時の特攻隊が、国や家族を守るためだったということで美化されてしまえば、結局またその惨劇を繰り返すことことになります。ですから、この子の「戦争を止めたい」と言う思いが、大きくなった時にどんな形で本当の平和をもたらすものとなるのかに期待したいと思いました。今の私たちには想像もつかないような手段で平和を実現するかもしれない、子どもたちの未来にそんな希望を見出すのでした。
園長:新井 純