連日の異常な暑さに、酸欠の金魚のようにアプアプしている園長です。この暑さの一因に地球温暖化が挙げられていますが、猛暑対策にエアコンを使い、その交換熱がさらにヒートアイランド現象のようなものを生み出すというような負のスパイラルにはまり込んでいることを考えると、では私たちはどうすれば良いのでしょう?と頭を抱えてしまいます。地球のバランスって、本当に奇跡的なところで保たれているのかもしれないと改めて思うのでした。

 パリでオリンピックが開催されています。「平和の祭典」という別名もあるオリンピックですが、けっこうナショナリズム剥き出しで自国のチームや選手を応援し合うので、メダルの色や数について一喜一憂しながら観戦している方々も多いと想像します。かく言う私も、日本の選手が出場すれば応援したい気持ちになるものです。ここ数日は夜毎柔道の試合を観戦していましたが、なぜかつま先に力が入り、体を傾けたりねじったりして、あたかも自分が相手の攻撃から逃れようとしているか如き体勢になりながら観戦し、終わるとハアハア肩で息をしているのに気づき、ひとり苦笑いするのでした。

 今回の大会で個人的に気になっているのはX(旧ツイッター)やインスタグラムなどのSNSによる反応です。TV等を通して世界中で何億人もの人々が観戦していて、それだけの人が見ていれば様々な感想が生まれ、それが外に吐き出されていきます。現代社会はインターネットを通じて自分の思いを不特定多数に発信できますし、匿名性を利用して公には言いづらいと思われる意見も気軽に表明できてしまいます。それゆえ、攻撃的な意見や不適切だと思われる意見も多数目にするようになるのです。

 ミスをしたり負けた選手への攻撃などはその際たる例です。「帰ってくるな!」とか「相手国に行って代表になり、負けて自国にメダルをもたらせ」なんてものもあるとか。応援していた選手が負けたことを同じように悔しく思っている気持ちはあるのでしょうが、誰よりも悔しい思いをしているであろう選手を、どうして第三者が追い討ちを掛ける必要があるのでしょう。勝敗などの結果に関するものばかりでなく、敗戦後に泣きじゃくったことや、団体競技にベストを尽くしたいから個人種目を辞退したという決断への誹謗中傷などもあると知り、本当に残念な気持ちになりました。

 普段の暮らしの中で、私たちはそれぞれ様々な思いを抱きます。本当はその全てを周囲の皆が理解してくれるのが理想です。でも、現実はそうではなく、わかって欲しい思いを汲み取ってもらえないことも少なくありませんし、自分の判断や行動や言動には、自分なりの理由があるということをみんながわかってくれるものでもありません。でも、そういう時にこそ思い起こしたいのです、「周りの人たちも、わかって欲しい思いを抱いて日々を歩んでいる」ということをです。ほんの少し、相手の思いに寄り添い、想像してみるだけ、それだけのことなのです。
園長:新井 純


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