先日、京阪特急に乗った時のことです。朝9時頃だったので、まだ通勤通学の乗客もいて混んでいました。次の駅でそれなりの下車があり、目の前の二人席が空いたので、運良く通路側に座ることが出来ました。その直後、乗車して来たおばあさんが私の真横に立つではありませんか。なので、間伐入れずに立ち上がり席を譲りました。上品に会釈して着席したおばあさん、慣れてる感じ。ん、もしかして、狙われた?と心の中で苦笑い。

 念の為、ぐるりと車内を見渡します。座席が横並びになっている車両と違い車両の中間は進行方向を向く座席だったのと、多少混んでいたので、席が少しでも離れていたら譲りにくい状況だったな、と思いました。同時に、なぜこのおばあさんは優先席の方へいかず、中央に入って来たんだろう?などと考え始めました。

 電車やバスで席を譲るか否かという議論が度々なされます。内容としては、元気な人は当然席を譲るべきだという考え方に対し、「元気そうでも疲れていることもある」「体調が優れないこともある」「見えないハンディキャップを負っている」「忙しくて寝る暇もないから電車の中で寝たい」などなど、見かけで判断されて席を譲るのが当然だという見方は違うのではないか?というものです。加えて、「席を譲ったら、バカにするなと叱られた」というケースもあるようです。せっかく席を譲ったのにそれはないですよね。

 でも、そもそもなぜ席を譲ることが勧められるようになったのかを考えてみなければなりません。それは、立っているのがしんどそうな人への思いやりだったのではなかったでしょうか。それが優先席設置のきっかけでしょう。

 優先席はやがて高齢者のみならず、障がい者や妊婦も対象であるという広報がなされていきました。良い広がりだったと思います。なぜなら、皆思いやる気持ちが必要な人たちですから。

 だとしたら、やはり優先席がいつでも「優先されるべき人たち」が気兼ねなく座れなければなりません。疲れてる?眠い?それは誰でも一緒。座りたければ他の人たちと一緒に椅子取り競争に臨みなさい。優先席はそうした競争に参加しにくい、配慮が必要な人たちに「優先」されているのです。じゃあ、せっかく席を譲ったのに、バカにするなと叱られたらどうする?→それはレアケースです。「そういうこともある」からと言って、優先席の権利を侵害していたとしたら、そのことを正当化できると思ってはなりません。

 この考え方に、異論がある方もおられましょう。それは承知の上です。でも、「自分が配慮して欲しい」と思った時にこそ気づかされる事柄はたくさんあるものです。例えば、荷物いっぱい持ってベビーカー押して電車に乗ったら、ベビーカーは邪魔だから畳むのがマナーだ、なんて言われたら切ないでしょ? 大事なのは、自分の主張が自己正当化に終始してないか?そこに隣人への配慮、思いやりはあるか?という振り返りです。優先席が優先じゃなくなっているから、高齢者は譲ってくれそうな人のそばに立つ、なんてことがある社会だとしたら、それは恥ずべきことです。

子どもたちは大人の行動を見ていて真似をします。だから、真似されるに値する大人でありたいと改めて思ったのでした。

園長:新井 純

新入園児とご家族の皆さん、入園おめでとうございます。在園児とご家族の皆さん、進級おめでとうございます。ここから始まる1年が、子どもたちにとって、またご家族の皆様にとって豊かな実りあるものとなりますようお祈りします。

 大きくなったら何になりたいか?大人が子どもたちによくする質問です。まだまだファンタジーの世界で生きている3〜4歳児なら「アンパンマン!」「プリキュア!」などという答えが返ってくるのも珍しくありませんし、可愛いねぇ〜などと笑っていられます。それが年長になっても同じようなことを言っていると「おいおい、そろそろ現実的なことを考えてはどうだい?」という気になるでしょう。でも、そんなのは放っておけば良いのです。いつまでもそんなことを言い続けるわけではありませんから。

 どこの調査かわかりませんが、中学生のなりたい職業アンケートで、ユーチューバーなどの動画投稿者が上位に食い込んでいるのだとか。初めて聞いた時は驚きましたが、よくよく考えれば現代の価値観がよく表れているようにも思えました。すなわち、良い面を捉えれば、自由だし、独創性が生かせるし、創造的で人を楽しませることもできます。

 一方、親が子どもになって欲しくない職業のぶっちぎり1位がユーチューバーだとも。「楽して儲けられると思うな」「いつまでも続かない」「安定していない」「再生回数ばかり気になり始め、物事の良し悪しの分別がつかなくなりかねない」「他者のためのなる仕事をして欲しい」などなどがその理由。なるほど。確かにそうだなと思う一方、でもそれは、例えば視聴率を上げたいために過度な演出やヤラセをする番組制作会社などにも向けられる意見でもありますし、そもそも様々なビジネスが生まれては消え、あるいは栄えては衰退するということを繰り返していることを思えば、動画投稿を職業としたいという思いを無下に否定するのもおかしな話ではあります。もっとも、だからといって、「ユーチューバーになりたい?いいじゃないか!」などと諸手を挙げて賛成しようという気にもなりませんが(苦笑)。

 このモヤモヤは何なのだろう?と思い巡らせていたのですが、見通しの立たない不確かなものへの不安なのかな、と思いあたりました。大人だろうが子どもだろうが、次にどうなるかがわからなければ不安になるものです。仮に、端から見て見通しが甘すぎると思っても、本人に「きっとこうなる」「こうしてみせる!」みたいな希望が溢れていれば、不安よりは期待が方が大きくなるでしょう。ユーチューバーになりたいとか、芸人になりたいという若者が増えているのは、そうした希望の方が不安を上回っているのだろうと想像します。でも、大人はより堅実な道を勧めるものです。成功はして欲しいけど、失敗のリスクは極力下げたいと思うからです。
子どもたちにとって何が良いのか、どうしてあげるのが良いのかは、必ずしもハッキリとした答えがあるわけではありません。その中で、今できること、すべきことは、様々な可能性を秘めている子どもたちに、様々な力を蓄えるチャンスを提供することなのでしょう。それをしてあげられる園でありたいと思います。

園長:新井 純

この度、園長ブログ『カピバラのひげ』を開設する運びとなりました。

投稿まで今しばらくお待ちください。

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