「電池が切れるまで」という本を手にしたのは、いつのことだったか。調べてみると18年くらい前のことだったようです。長野県立こども病院に入院している子どもたちが書いた詩と、その背景を記した記録です。その中に、本のタイトルの元にもなった「命」という作品がありました。

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『命』 宮越由貴奈

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも 電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも、「命なんかいらない。」と言って
命を無駄にする人もいる
まだたくさん命が使えるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
精一杯生きよう

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本の中には、何人もの子どもたちの作品が収録されています。回復して退院して行った子もいれば、病院で最期の時を迎える子もいます。「命」を書いた由貴奈さんは、これを書いた4ヶ月後に旅立ちました。11歳でした。ちょうど私の子どもたちも似たような年齢だったので、もし我が子だったらと想像し、やるせない思いで繰り返し読んだことを思い出します。

以前、後輩の牧師が「天寿を全うしたから良かったとか、まだ若かったから残念だ、という言い方はおかしい。幾つになっても死を悲しいと思うケースもあれば、若くして亡くなっても充実した人生だったと言える人もいる。」と話すのを聞き、その通りだと思いながら、由貴奈さんのこの詩を思い浮かべました。

でも、やはり11年は短いと思わずにいられません。なのに、彼女は最後まで精一杯生きようと言っているのであって、長生きをしたいと言っているわけではないところに引っかかりました。すでに11歳で、希望を抱きつつも終焉を見据えているとしか思えなかったからです。

長野県安曇野市にあるこの病院のホームページには、まるでテーマパークのような楽しげな外観の建物の写真が出てきます。建物自体が、病気との闘いや、場合によっては親子離れ離れになってしまうかもしれないという不安を和らげる一助になっているのは間違いありません。不安は子どもだけでなく、親御さんも同じでしょう。でも、その外観にさえ、「大丈夫だよ。一緒に頑張ろうね」というメッセージが込められているように感じられ、ケアをするということの真髄を見せられた思いでした。

戦争の報道が繰り返される中で、子どもたちには、改めて命の大切さと尊さを伝えたいと思っています。神様から与えられたかけがえのない命を、私もあなたも、精一杯生きているということを知るために。         

園長:新井純

 数日前、知床で沈没したKAZUⅠという観光船が引き上げられました。事故原因究明や遺族感情を考慮した引き上げだったわけですが、小さいとは言え沈没船を深い海から引き上げるのは簡単なことではありませんでした。この作業を依頼された日本サルヴェージという会社は、西太平洋エリアでは最も優れたサルベージ会社だそうで、卓越した技術と豊富な経験がこの作業を可能にしたのでしょう。

 ところが、完全に引き上げる前には、せっかく引き上げかけた沈没船を、さらに深い海に落下させるという事故が起きました。船を吊り下げていたロープの一部が切れて沈没船がずり落ちたということでした。

 このことを巡り、厳しい意見が飛び交いました。ネットでは、「日本のサルベージ技術にガッカリした」などのような発言も見られましたし、国会でもなぜこのようなことが起きたのかと追求する発言があったそうです。

 こういう発言を見たり聞いたりすると、果たしてこの発言者たちの正義ってどこから来るの?と思わずにいられなくなります。沈没船を落下させたのは技術的な問題だったのか、想定外ということを含む不可抗力だったのか、はたまた単純なミスだったのか、それは専門家が見極めるでしょう。ただ、少なくとも繰り返し報道されていたように、極めて難しい作業であったことは容易に想像できます。それでも事故は起きるのです。

 なのに、事故が起きたら、途端に正義感に満ち溢れた人たちがそれを振り回して非難を始めます。今回のことばかりでなく、日常的に発生する事件や事故について、にわか評論家となった人々が自分の正義を盾に誰かを攻撃します。その正義、どうしてあなたは振りかざせるの?

 残念ながら、私たちは自分たちが思う正義が正しいと勘違いします。でも、必ずしも私が思う正義が正しいわけではありません。私は所詮私が経験したり習得したりした知恵や知識、技術や経験の範囲でしか判断し得ないからです。例えば、私が何かを非難したとして、その指摘が間違いではなかったとしても、その事件や事故の背景には、当人たちにしかわからない事情があるのかもしれないし、それを知ったら私も「あ〜、それは仕方ないね」と意見を180度変えるかもしれない可能性さえあるのです。でも、正義を振り回しているときには、それが大変な過ちであることに気づきもしません。だって、自分は正しいと思っているのですから。

 正義の刃は、人を傷つけます。グサグサ突き刺しまくって瀕死の重傷を負わせてなお、私は正しいと開き直るのが、正義の恐ろしさです。でも、覚えておかねばなりません、その刃はいつか自分にも向けられることを。大切なのは、想像力です。そして、思いやる心です。

 新型コロナ感染症が流行し出した2年前、世光保育園は報道で呼びかけられるよりずっと前から「感染者が出ても特定しようとせず、互いに思いやりを持ってください」と呼びかけてきました。なぜなら、私たちは、お互いを大事に思い合うことを大切にしたかったからです。思いやりを持てる子どもたちを育てたいからです。なぜなら、神様がそう望まれているからです。

園長:新井純

 今年もゴールデンウィークが始まります(終わってから読まれる方もおられるかも)。今年は最長10日間だそうですが、間に挟む平日に仕事がある方もおられるし、休日だからこそ出勤しなければならないサービス業の方もおられるでしょうから、必ずしもみんなが連休になっているわけではありません。それでも、ゴールデンウィークだと騒ぐのは、やはり連休になる人たちの方が多いからなのでしょうか。新型コロナ第7波が心配されながらも観光地にはお客さんが戻って来て、それなりに賑わいを取り戻しているとの報道を見ると、この連休は京都も賑やかになりそうです。
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 3月末のことです。インドネシアのサッカー場で、試合前に選手たちが「戦争反対」のバナー前に立って、ウクライナを支持するアピールを行いました。ところが、二人のパレスチナ人選手がそこに並ぶの拒否したので、そのことが話題になりました。一人が言います。「公平さも正義もない」

 パレスチナは、長い間イスラエルからの大きな暴力に苦しめられています。イスラエルはパレスチナからのテロ行為に報復するためだとして、パレスチナを爆撃することを正当化していますが、パレスチナからすると日常的に理不尽な暴力にさらされ、空爆をはじめさまざまな攻撃によって犠牲を強いられているので、そのことへの怒りが爆発して反撃をすると、「テロ行為だ」と断罪されるという不満を抱えています。

 くだんのサッカー選手は、そうした理不尽な暴力を世界にアピールしようとして、かつて戦争反対を訴えようとしたそうです。でも、その時は国際サッカー連盟から「サッカーと政治は別物」「そのようなアピールは規則に反する」と言って、アピールさせてもらえませんでした。なのに、今回ヨーロッパで同じようなことが起こった時、当たり前のように戦争反対を訴えることが許されるのはなぜだ?というわけです。

 この選手は、ロシアを支持しているわけではありません。ウクライナ侵攻を支持しているのでもありません。戦争には反対なのです。でも、中東やアラブ人が蔑まれていると感じないではいられない状況の中で、公平であることを求めたのです。

 この記事を読んだとき、ドキッとしました。確かにこの選手の言う通りです。パレスチナにどれだけ想いを寄せただろうか?アフガニスタンはどうだ?ミャンマーは?

 欧米諸国は正義、東側は危険、中東はもっと危険、そんな短絡的な決めつけをして来たつもりはありませんが、私の中で公平ではなかったとの思いは沸々と湧いて来ました。戦争反対を訴えることは良いこと、当然のことだと認識していますが、果たして全ての戦争について同じ思いでいただろうかと、顧させられたのです。

 思いは、いつも自分が思っているのと同じように受け止められているわけではありません。逆の立場になれば、汲み取れきない思いもあるし、想像から漏れている事柄もあることを自覚します。それでも、想いを受け止めてくれる人が一人でもいることを知れば、わたしたちは希望を抱き続けることでしょう。なぜなら、それが公平の第一歩だからです。 

園長:新井 純

  新年度がスタートしました。未だ新型コロナ禍が続いていますが、健康が守られ、子どもたちが元気に楽しく過ごしながら、たくさんの経験を積んで、しっかりと土台作りができるようお祈りします。

  経験を積むこと、これがいかに大切かは言うまでもありません。経験したことであれば見通しがつくので、物怖じしないでスムーズに出来たり、落ち着いて取り組めたり、さらなる工夫をもってより良い結果をもたらすことも出来ます。

  例えば、園では時々お散歩に行きますが、道中は大事な「経験」の場です。特に、車やバイク、自転車などが行き交う道路を歩くことは、交通ルールを学び、しかし全ての人がルール通りに動いていないことをも知り、その上で自分の命を守るためにはどのように行動すれば良いのかを、繰り返し経験して学びます。これは、交通安全教室などで1度や2度教えたからと言って覚えられるものではありません。正確には、繰り返し体験し続けることで、身に付いていくものです。しかも年齢や個人差で身に付き方も違います。子どもは好奇心旺盛で目に付くさまざまなものに興味を惹かれますし、友だちとの話に夢中になって注意力も散漫になります。「公園に着いたらいっぱい遊ぼう」と声かけしても、道端にアリを見つけるだけで、そこに気を取られるのが子どもです。ですから、同じような注意を何度も繰り返すことになりますが、そういうことを繰り返して道路に潜む危険を知り、道を歩くときにはどのように安全確保をするのかを体得していくわけです。

  あるいは、日常生活の中でのお買い物。スーパーに買い物に行くと、様々な食材から大人は自分が必要だと思う野菜や魚や肉、その他いろいろな物をカゴに入れていきます。お菓子を買って欲しくて、お願いをしてみる子、要求を通したくてギャン泣きする子、選んだお菓子を手に嬉しそうにしている子なんてシーンも見ます。やがてレジに並んで精算をします。お金を払い、あるいは最近はカードを機械に挿したりかざしたりして精算をすると、買ったものを家に持って帰れます。この当たり前のことも、日々の生活の中で経験を重ねることで覚えるのです。有名なセレブ女優が、大人になってから銀座で買い物し、そのまま持って帰れると思ったら「お支払いを」と言われてビックリしたというエピソードを聞いたことがあります。普段はデパートの外商が家まで商品を持ってきてくれたり、買い物に行ってもお付きの人が支払うので、自分自身は買い物をした経験がなかったので、お金を支払うということを知らなかったのです。このことからわかるのは、経験がなければ大人も子どもも関係ない、「当たり前」が当たり前ではないこともあるということです。

  お家やご家庭でなければできない経験があります。園や集団でなければできない経験もあります。その両方の経験を重ねながら、子どもたちは成長していくのです。しかし、新型コロナ禍は、様々な経験の機会を奪い、特に集団での活動に制限をかけてきます。でも、巣穴にこもっていたのではできない経験や成長の機会を、出来るだけ子どもたちに提供したいと考えます。
これからの1年間、神様に守られて、子どもも大人も成長できるよう祈ります。

園長:新井 純

Superflyというアーティストの「Beautiful」という曲を時々聴いています。サビの歌詞が素敵です。「世界で一つの輝く光になれ。私でいい。私の歩幅で生きていくのさ」頑張らなきゃと思う時に聴くと、大いに励まされます。園長、若いなって?ええ、若いんです。

世光保育園の「世光」とは、読んで字のごとく、世の中の光という意味です。これは、新約聖書のマタイによる福音書5章「あなた方は地の塩である」「あなた方は世の光である」という言葉から取られています。塩は命を保つために必要不可欠な要素であると共に、お料理の味付けにおいては、わずかな量でも料理の出来を大きく左右します。そこでイエス様はおっしゃいます、「塩に塩気がなくなれば、(中略)もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられる。」

同じように、世の光については「ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のもの全てを照らす。」と記されています。(升=マス。ランプやろうそくを入れていた箱)

塩とともし火、いずれの比喩も、わたしたち一人ひとりが大切な存在であることを示しています。世の中がお料理だとすれば、塩は欠かすことが出来ません。全体に影響を与えるほど大事な存在です。また、暗い部屋、とりわけ夜になれば、ともし火が必要です。真っ暗闇の中でも、私というともし火があれば、見えるようになるでしょう。それらは、単に「美味しくなった」とか「見えるようになった」ということに留まらず、例えば美味しいお料理で心も満たされたとか、明るくなったことで読書や作業ができるようになったなど、数えきれないほどの相乗効果をもたらすのです。

人間には個性があります。とかく個性的というと、「普通じゃない」とか「変わってる」というニュアンスが含まれるようですが、個性とは性格だけを言うのではありません。一人ひとりに備えられた能力を含めた、その人を表すものですから、全ての人が個性的であるはずです。そして、その個性は尊重されなければなりません。なぜなら、その個性には意味があるはずだからです。

そこでイエス様は、「あなた方は地の塩、世の光である」とおっしゃったのです。これによって、私たちは大切な一人なんだ、私たちはみんなの役に立つのだ、と気づかせてくださって、私がここにいる意味、存在意義を確認できるのです。世光保育園という名称には、子どもたちにそうした想いをしっかり受け継いで育って欲しいという願いが込められています。

子どもたちばかりではありません。大人であっても、みんな大事な地の塩、世の光です。それぞれに役割や責任があり、みんなが輝き合うことで、みんなが心地よく生きていける、平和で素晴らしい世界を築き上げるのです。

コロナ禍のために残念で悔しい思いをたくさんしましたが、工夫や見直しで新たにされたこともありました。それぞれが知恵と力を出し合えば、もっと素敵な世の中を創れます。世光で育つ子どもたちには、神様から与えられている光を存分に輝かせて欲しいと願っています。

卒園生、卒園おめでとう。
在園生、進級おめでとう。

園長:新井 純

東日本大震災からもうすぐ11年が経とうとしています。なのに、巨大な津波が襲い沿岸部の町や集落が壊滅的な被害を受けた様子を見たのは、つい昨日のことのように思い出されます。

あの津波の時、園舎が津波に飲み込まれながら、津波が襲ってくる前に在園していた54名の園児全員を避難させ、無事だった保育園があります。宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区にあった閖上保育所です。

2011年3月11日午後2時46分、地震発生。外出していた佐竹悦子園長は急いで園に戻ると、園庭に避難していた職員たちにこう指示を出されました。「1、逃げます。2、車を持ってきてください。3、小学校で会いましょう。」

職員たちは駐車場に停めてある通勤用の自家用車を取りに走り、園児たちを分散して自分達の車に乗せ、2キロほど内陸に走ったところにある閖上小学校に急ぎました。園長の指示があってから25分後の3時20分には、全員が閖上小学校に到着し、校舎の階段を駆け登って屋上に避難しました。それから32分後の3時52分、避難していた小学校にまで津波は襲ってきました。

死を覚悟したと言います。津波は家や車を押し流しながら目の前に迫ってきます。助けてと叫びながら流されてくる人の姿もあったと言います。でも、手を差し出すことさえできません。津波は校舎2階まで到達していました。

お昼寝途中だった園児たちはパジャマ1枚で避難していました。東北の3月はまだ寒いです。珍しく雪も舞っていました。震える子どもたちを見て、3階に降りて暖を取るか、でも津波が3階まで来たらどうしよう、そんな葛藤を繰り返しながら、最終的には3階に降りる決断をしました。津波がそこまで到達することはなく、子どもたちは全員助かりました。

震災後、人々はこれを「名取市の奇跡」と呼び始めました。でも、佐竹園長は「これは偶然だったのではないし、奇跡でもない」とおっしゃいます。津波を想定していた訓練を重ねていたからこそ出来た、当然の結果だったのだと。佐竹園長は前年2010年から津波に備えた避難マニュアルの作成に取り掛かり、訓練していたのだそうです。このお話を佐竹園長から伺った時には、震えが止まらなくなったのを今でも思い出します。

今回の新型コロナによる休園について、経験したことがない事態なのに、幾度となく即断を迫られることを繰り返しながら、「これはまさに被災支援そのものだな」と思いつつ対応してきました。特に、連日連夜遅くまで奮闘されている保健所の献身的な姿は、まさに災害現場の最前線といった感じでした。

また、休園のためにお仕事の調整等ご協力いただいた保護者の皆様にも、本当に感謝でした。選択肢のない一方的なお願いでしたので、皆様のご協力なくしてこの困難は乗り越えられませんでした。子どもたちにも不自由な思いをさせましたが、こうして皆様が耐えてくださっているということが、私たち職員一同を奮い立たせ励まし続けました。本当にありがとうございました。
備えておくことの大切さを再確認いたしました。世間的には困難な状況は続いています。皆様の健康が守られるよう祈ります。

園長:新井 純

 新年おめでとうございます。この1年も、皆さんの健康が守られ、心も身体も健やかに過ごせますようお祈りいたします。

 新型コロナ禍3年目に突入し、ついにオミクロン株による第6波の襲来がほぼ確実な状況ですが、当初から「パンデミック収束まで最低3年かかり、7回以上大波が来る」と言われていたので、専門家の予測はすごいなと感心しているところです。

この間にマスク着用はほぼ当然のようになり、むしろ若い世代ではマスクを外したがらなくなっている人たちも少なくないとか。感染予防というより、顔を隠せるからという理由だそうです。そう言えば、もうだいぶ前ですが、目元だけのメイクで様々な有名人に似せるという芸当で有名になった方がいました。職員に「なんて人だっけ?」と聞いたら「ざわちん!」と即答で返って来ました。あの方は、目元のメイクだけで勝負するため、口元はマスクで隠していましたね。

 得意な部分で勝負する、例えばざわちんさんのように、見栄えの良い部分を磨いて、さらに見栄えを良くするとか、パソコンの得意な人がプログラマーとして活躍するとか、駅伝チームの中でも上り坂に強い人がその能力を磨いて箱根駅伝の第5区(1日目最後の長い上り坂)を走るなど、自分の得意な部門や好きなことの能力を発揮できる場があれば、とても望ましいことです。

 なにせ、得意なことや好きなことの能力は伸ばしやすいです。だって「好き」なのですから。好きなことには、他のことより興味を持つものですから、続けたり努力することも苦にはなりません。私は「さかなクン」ほどではありませんが魚類が好きだったので、幼少の頃は毎日夕方6時から夕食が始まる7時まで、魚類図鑑を見るのが日課でした。当然、図鑑を丸ごと暗記するほどになります。「良く知ってるね」などと言われれば、得意顔になってますます熱が入るというものです。まさに「興味を持った時が教え時!」になるのです。

 では、不得手や苦手には目をつぶっていても良いか、という問題があります。目だけで勝負するから顔の下半分はマスクで隠す、これは一つのアイデアでした。ただそれは、様々な経験を経て来てから編み出された手段だったのだと思います。さまざまなことを経験したり、認識したり、自覚した上で、得意分野をより活かすための手法を見つけられたということではなかったかと。つまり、苦手だから嫌いだからという理由で、入り口の段階で切り捨ててしまっては、新しい可能性を潰してしまうかもしれないし、特に得意になるかもしれない芽を摘んでしまいかねません。見せたくないと思う部分をさっさと隠してしまっては、本当の良さを輝かせることができるのかどうか。だったら、苦手や嫌いも、ある程度はチャレンジを繰り返すことも大切だと思うのです。

 子どもに好きなこと、やりたいことをさせてあげることは、見ていて楽しいです。一方、苦手や嫌なことにも挑戦することを教えるのは、大人側にも努力が必要です。でも、苦手を克服したり、嫌なことが得意に変化するかもしれない可能性もあるのですから、好きことや、やりたいことをさせながらも、新しいことに挑戦する楽しさも教えてあげたいと思います。 

 園長:新井 純

 Go To Eatのチケット販売が再開されました。京都も10月に申し込みが終わり、抽選が行われました。そのような中、政府は年末の混雑を警戒し、各自治体にチケットの販売を延期するよう求めるという声明を出しました。その翌日、京都の抽選結果が発表され、チケットの販売が開始されました。「今さらやめられないから売っちゃえ!」だったのでしょうか。相変わらずのドタバタ具合に失笑しました。

 長い緊急事態宣言が解かれ、飲食店の規制も緩和された時、夜の街には活気が戻ったかに見えましたが、どうやら規制への反動だったらしく、その後再び静かになっていったいうニュースを観ました。「リベンジ飲み」だったんだそうです。忘年会や新年会で書き入れ時の年末年始なのに予約が極端に少なく、店内は少人数のグループばかり。どうやら、この1年半の間に、私たちの意識そのものが大きく変わり、大人数での飲食を敬遠するようになったのかもしれません。企画した時点で顰蹙(ひんしゅく)を買いそうですしね。

 でも、コロナ禍に乗じて人付き合いが極端に減って行くのだとしたら、それはそれで心配です。確かに人付き合いが苦手な方もいるし、必要以上に付き合いを強いられるのは苦痛です。でも、人間は本来群れを作り、社会を作って生きる生き物ですから、そこには助け合い、支え合いを含めた、コミュニケーションを心の糧にしている部分が多くあるはずなのです。それを削りすぎると、きっと私たちは心の健康を保てなくなるのではないでしょうか。

 イエス・キリストは、人々が避けるような病人や障がい者、罪人とされて差別されていた人々と積極的に交わりました。具体的に触れ合うことで、みんなが元気になっていったのです。

 触れ合うって大事ですね。コロナの治療法が見つかるまでは警戒を解くわけないはいきませんが、心まで離れ離れになってしまわないように、私は一人じゃないということを意識したいと思う今年のクリスマスです。  

園長:新井 純

 先日父を天国に送りました。88歳でした。私にとっては父であると同時に、牧師として、また保育園の園長としても先輩であり、手本であり、目標でもありました。寂しさはありますが、漫才コンビ「カミナリ」のマナブさんが、「死んだ時に悲しんで欲しくないんですよね。この人は良い人生だったよな、と言って欲しいんですよ」と言っていたのを思い出し、父もそういう人だったはずだと、感謝をもって送り出しました。

 親孝行という言葉があります。皆さんはこれをどう捉えているでしょうか。一般的には親への恩返しとして、老後の面倒を見ることであるとか、何か感謝の気持ちを表すことであるとか、そのように捉えている人が多いと思います。改めてネットで調べてみると、「親に真心をもってつかえ、大切にすること。親に孝行を尽くすさま」とありました。まさに、恩返しや感謝の気持ちを表すのは、親孝行そのものだということがわかりました。

また、親孝行として「食事に連れて行った」「食べ物や飲み物をプレゼントした」「旅行に行ってもらった」という声が多いという調査結果も紹介されていました。一方で、7割近くの人は、親孝行ができていない、あるいは十分ではないと感じているとのこと。「親孝行、したい時には親はなし」という言葉がよぎる結果となりました。

では、どこまで、何をすれば、親孝行できたと満足するのでしょうか。あるいは、親から受けてきたたくさんの愛に報いるためには、どうすれば良いのでしょうか。仮に、自分を育て上げるために掛かった費用を計算し、その分をお返ししようとしたら、とてもではありませんが十分に報いることができたと納得するのは難しいでしょう。だから、せめて食事や旅行に招待して、納得しようとしているのかもしれません。

でも、親の気持ちになって想像すると、子どもが何かをしてくれようとしている、その気持ちが何よりも嬉しいと思うのではないでしょうか。ご飯食べに行こうと連れ出された先が町の小さな食堂だろうが、温泉旅行に連れて行ってもらった宿が安宿だろうが、そうした気持ちを抱いてくれたということを喜ぶのだと思うのです。プレゼントを買えない子どもが「肩たたき券」を贈ってくれたら嬉しいですよね。園で一生懸命描いてきた似顔絵をプレゼントしてくれたら、嬉しいですよね。つまり、この世的な価値とは関係なく、その心、気持ちを喜び、受け止めるのです。

 そして、私が親孝行として最も重要だと思ってきたのは、私自身の人生をしっかり生きることです。もし、私が悩み多く、日々をため息ばかりで暮らしていたら、親としてそんな姿を見るのは辛いでしょう。それよりも、毎日をしっかり生きている姿を見られたら安心です。加えて、次の世代となる子どもたち(孫たち)をしっかり育てること、これもまた孝行だと思ってきました。言わば、親から託されたバトンを、しっかり次の世代に渡していくことは、確かに親孝行なのだと。

 だから、親孝行したい時には親はなし、などと嘆く必要はないと思ってきました。人生は決して楽な道ばかりではないし、子育ても然り。でも、迷いながら、悩みながらでも、与えられた人生をしっかり生き、子育てもやり遂げることが大切なのだと信じます。

園長:新井 純

  デジタル新聞で、とある障がい者のツイートが紹介されていました。記事は以下のような内容。

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  特別支援学校と地域の小中学校の生徒が交流する制度があり、小学校の校長先生からこう言われた。「君がうちの生徒と交流してくれたら、学ぶことがたくさんあるんだよ。ふれあいを大切にしたいので、ぜひまた来てください。」
  自分は教材なのか?まるで触れ合い移動動物園じゃないか。話す機会が必要だと感じるなら、なぜ幼稚園や小学校から健常者と障がい者を分けた場所で教育するのか。大人の都合で分断しておいて、話す機会必要とか、意味がわからない。
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  ドキッとしましたが、なるほどその通りだと思いました。

  幼い頃に障がい者が身近にいる生活をしていると、それは特別なことではなく、当たり前になると聞いたことがあります。確かに、私が子どもの頃、近所やクラスに知的能力障害の友だちが何人かいて、遊びであれ共同作業であれ、そうした友だちがグループの中には一定数いるのは当たり前で、よく一緒に遊んでいました。そういう時は複雑なルールのゲームができなかったり、あるいはすぐに飽きてしまって遊びが続かないなど、いわゆる健常児と遊ぶのとは違いましたが、だからと言って特にそういう友だちを避けたり、のけ者にすることはありませんでした。それが当たり前だと思っていたからです。

  滋賀県に止揚学園という障がい者施設があります。障がい者が生まれたことを隠すような時代に、そのような子を探しては招き、一人の「人間」としての尊厳を大切にする生活を共にすることを実現してきた施設です。設立者の福井達雨先生の御子息が、ある日学校で友だちから「お前の家に遊びに行くと、アホがうつるから行ったらあかんねんて」と言われたと、泣いて父親に訴えてきたことがあったそうです。子どもたちにとっては、施設の入所者はいつもそばにいる家族であり、友だちであって、決して遠ざけるべき存在だとは思っていなかったのです。

  ところが、自分と大きな違いがある人や環境に突然出会うと戸惑います。そして、場合によっては避けたり排除したりしようとします。どうしても避けたいと言うより、どう接すれば良いのかがわからないからかもしれません。例えば、自転車を倒して買い物袋をひっくり返してしまったおばあさんの手助けをするのは簡単ですが、白い杖を手にした視覚障害者が困っている時に、「どちらへ行きたいのですか?」と声を掛けることは、案外勇気のいることかもしれません。でも、一度経験すれば、そういった手助けもたやすくなるものです。

  そう、経験することなのです。一緒に過ごす、自分とはちょっと違う友だちがそばにいる、これだけで変わるのです。加えて、ちょっと違う友だちも、ちょっとの手助けで皆と変わらずいろんなことができるのだということを知るのです。

  パラリンピック出場選手がこんなことを言っていました。「共生社会とか多様性とか、そういう言葉を使わなくても良い時代が来るように」

園長:新井 純


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