新年度がスタートしました。未だ新型コロナ禍が続いていますが、健康が守られ、子どもたちが元気に楽しく過ごしながら、たくさんの経験を積んで、しっかりと土台作りができるようお祈りします。

  経験を積むこと、これがいかに大切かは言うまでもありません。経験したことであれば見通しがつくので、物怖じしないでスムーズに出来たり、落ち着いて取り組めたり、さらなる工夫をもってより良い結果をもたらすことも出来ます。

  例えば、園では時々お散歩に行きますが、道中は大事な「経験」の場です。特に、車やバイク、自転車などが行き交う道路を歩くことは、交通ルールを学び、しかし全ての人がルール通りに動いていないことをも知り、その上で自分の命を守るためにはどのように行動すれば良いのかを、繰り返し経験して学びます。これは、交通安全教室などで1度や2度教えたからと言って覚えられるものではありません。正確には、繰り返し体験し続けることで、身に付いていくものです。しかも年齢や個人差で身に付き方も違います。子どもは好奇心旺盛で目に付くさまざまなものに興味を惹かれますし、友だちとの話に夢中になって注意力も散漫になります。「公園に着いたらいっぱい遊ぼう」と声かけしても、道端にアリを見つけるだけで、そこに気を取られるのが子どもです。ですから、同じような注意を何度も繰り返すことになりますが、そういうことを繰り返して道路に潜む危険を知り、道を歩くときにはどのように安全確保をするのかを体得していくわけです。

  あるいは、日常生活の中でのお買い物。スーパーに買い物に行くと、様々な食材から大人は自分が必要だと思う野菜や魚や肉、その他いろいろな物をカゴに入れていきます。お菓子を買って欲しくて、お願いをしてみる子、要求を通したくてギャン泣きする子、選んだお菓子を手に嬉しそうにしている子なんてシーンも見ます。やがてレジに並んで精算をします。お金を払い、あるいは最近はカードを機械に挿したりかざしたりして精算をすると、買ったものを家に持って帰れます。この当たり前のことも、日々の生活の中で経験を重ねることで覚えるのです。有名なセレブ女優が、大人になってから銀座で買い物し、そのまま持って帰れると思ったら「お支払いを」と言われてビックリしたというエピソードを聞いたことがあります。普段はデパートの外商が家まで商品を持ってきてくれたり、買い物に行ってもお付きの人が支払うので、自分自身は買い物をした経験がなかったので、お金を支払うということを知らなかったのです。このことからわかるのは、経験がなければ大人も子どもも関係ない、「当たり前」が当たり前ではないこともあるということです。

  お家やご家庭でなければできない経験があります。園や集団でなければできない経験もあります。その両方の経験を重ねながら、子どもたちは成長していくのです。しかし、新型コロナ禍は、様々な経験の機会を奪い、特に集団での活動に制限をかけてきます。でも、巣穴にこもっていたのではできない経験や成長の機会を、出来るだけ子どもたちに提供したいと考えます。
これからの1年間、神様に守られて、子どもも大人も成長できるよう祈ります。

園長:新井 純


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