子どもの頃、サンタクロースが来るのが楽しみでした。プラレールの列車をもらったこととか、トミカのタワーパーキングをもらったことなどを覚えています。新聞におもちゃ屋の楽しそうな折込チラシを見つけたら、それを大事に取っておいて、毎日眺めてはどれをお願いしようかと悩むのも、この時期の楽しみだったように記憶しています。

 年長か小学1年生のクリスマスには、自転車をリクエストしました。今は子ども用自転車もシンプルなものがほとんどだと思いますが、50年前はライトや反射板を含め、装飾が施されたものが多くありました。TVの戦隊ヒーローもののバイクのようなものと言えばイメージできるでしょうか。ですから、その時は自転車屋の折込チラシから、カッコ良い補助輪付きの自転車を選び、これが欲しいとサンタクロースにリクエストしたのでした。どうやってリクエストしたかって?はい、パパに言うと、パパが代わりに伝えてくれると言うことでした。

 クリスマスを迎え、お祝いする食事を楽しんだ後にくつろいでいると、家のどこかで「ミシッ」という音が聴こえます。古い木造だったので、音なんてしょっちゅうしていたのに、この日ばかりはそれがサンタクロースがやって来た合図だと信じ、家中を探し始めます。すると、家のどこかの窓か扉が開いていて、そこにプレゼントが置いてあるのでした。

 自転車をリクエストした年、確かに自転車が贈られました。でも、それは悩みに悩んで選んだ自転車ではありませんでした。シールも付いてなければ装飾もない、シンプルなものだったのです。ガッカリしました。パパはちゃんと伝えてくれたの?カッコイイのが欲しいって言ったのに!

 「サンタさんはこっちの方がいいと思ったんじゃない?」そうか、そうなのか? 何だか納得できないけど、そうなのかも。結果、私は長くその自転車に乗り続けました。子どもっぽい装飾がされたものなら、やがて恥ずかしくなって乗れなくなっていたでしょう。でも、シンプルだったがゆえに、長く乗り続けられたのです。

 神様は、私たちの祈りを聴いていて下さいます。ただ、願いが叶うわけではありません。私たちの願いで神様を動かすことはできないのです。神様は私たちの祈りに耳を傾けつつ、私たちに本当に必要なものを備えてくださる方なのです。

 キリストの誕生もそうでした。人々が願うような救い主ではなく、人々の期待を裏切るような救い主でした。でも、それこそが本当に私たちに必要な救い主だったのです。 
 園長:新井 純


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