「電池が切れるまで」という本を手にしたのは、いつのことだったか。調べてみると18年くらい前のことだったようです。長野県立こども病院に入院している子どもたちが書いた詩と、その背景を記した記録です。その中に、本のタイトルの元にもなった「命」という作品がありました。
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『命』 宮越由貴奈
命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも 電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも、「命なんかいらない。」と言って
命を無駄にする人もいる
まだたくさん命が使えるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
精一杯生きよう
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本の中には、何人もの子どもたちの作品が収録されています。回復して退院して行った子もいれば、病院で最期の時を迎える子もいます。「命」を書いた由貴奈さんは、これを書いた4ヶ月後に旅立ちました。11歳でした。ちょうど私の子どもたちも似たような年齢だったので、もし我が子だったらと想像し、やるせない思いで繰り返し読んだことを思い出します。
以前、後輩の牧師が「天寿を全うしたから良かったとか、まだ若かったから残念だ、という言い方はおかしい。幾つになっても死を悲しいと思うケースもあれば、若くして亡くなっても充実した人生だったと言える人もいる。」と話すのを聞き、その通りだと思いながら、由貴奈さんのこの詩を思い浮かべました。
でも、やはり11年は短いと思わずにいられません。なのに、彼女は最後まで精一杯生きようと言っているのであって、長生きをしたいと言っているわけではないところに引っかかりました。すでに11歳で、希望を抱きつつも終焉を見据えているとしか思えなかったからです。
長野県安曇野市にあるこの病院のホームページには、まるでテーマパークのような楽しげな外観の建物の写真が出てきます。建物自体が、病気との闘いや、場合によっては親子離れ離れになってしまうかもしれないという不安を和らげる一助になっているのは間違いありません。不安は子どもだけでなく、親御さんも同じでしょう。でも、その外観にさえ、「大丈夫だよ。一緒に頑張ろうね」というメッセージが込められているように感じられ、ケアをするということの真髄を見せられた思いでした。
戦争の報道が繰り返される中で、子どもたちには、改めて命の大切さと尊さを伝えたいと思っています。神様から与えられたかけがえのない命を、私もあなたも、精一杯生きているということを知るために。
園長:新井純