某金融会社の「始めたいこと、始めようプロジェクト」という広告を見て、面白そうだなと思い応募してみました。数ヶ月後、応募していたことも忘れていたのですが、書類審査に通ったので面接を受けて欲しいとの連絡があり、オンライン面接を受けることになりました。
よくよく聞くと、最終的なチャレンジをするまでの過程を、日常生活まで含めて撮影をする、いわゆる密着型のドキュメンタリーになるそうで、Web広告に使われるくらいだろうと軽く考えていた私は、腰がひけてきました。なのに、面接後にこれまた色々と写真を送って欲しいと連絡が来て、ますますビビり始めました。だから、最終選考で競り負けたと連絡が来た時は、正直ホッと胸を撫で下ろしたのでした。
自分で言うのも何ですが、子どもの頃から好奇心は旺盛で、スイッチが入ると後先考えずとりあえず突っ込んで行く傾向があります。それで失敗したり、恥をかいたり、後悔したりということも少なくありません。それでも、私の親は私がしたいと思ったことに挑戦させてくれましたし、たとえ三日坊主で終わっても叱られるということはありませんでした。
保育に携わるようになり、保育を学び始めて気づいたのは、「興味を持った時が教えどき」だということです。自分自身を振り返ってみるとよくわかるのですが、興味を持っていることには熱心に取り組むし、そこで学んだことはよく吸収します。しかし、誰かに「させられたこと」は、なかなか覚えませんし、その時間は苦痛です。
そうなると、興味を持った時にそれを学べる、あるいは実行できる環境が整えられるというのは、実に幸せなことです。もちろん、前述の私が経験してきたことのように、全てが続くわけでもないし、身になるわけでもありません。特に、子どもの興味は移り変わりやすいですから、むしろ続くと期待してはいけないのかもしれません。
たとえば、絵本を読んでいると、いつかのタイミングで字に興味を持つようになります。4〜5歳くらいでしょうか、「これなんて読むの?」と聞かれるようになったら、まさにその時が教えどきとでも言いましょうか。もっと早い段階で字を教えようと思って、イラスト付きのアイウエオ表を使ったりすれば、確かに覚えるのです。でも、それが後の学習能力に著しく有利になるかと言えば、そんなことはありません。「小さいのに、もう字が読めるの!」って喜ぶのは大人だけです。はい、長男でそんなことをしていたのは私です。
でも、次男の時はやめました。そんなことより、色々なことに興味を持つための工夫をした方が、面白いことを始めるのではないかと気づいたからです。「トトロを探しに森に行こう!」とか「サンショウウオを育てよう!」とか「(雪国だったので)白うさぎの足跡を見つけよう!」とか「朝ごはんを作ろう!」とか。「それは、全部あなたがしたいことなんでしょ?」と妻には言われそうですが、まあいいじゃないですか、パパが楽しそうにしていることを一緒にできるのですから。
子どものしたいことを全て整えられるわけではないし、今それが必要かどうかも吟味する必要はあります。その上で、大人がさせたいと思うことではなく、子どもが興味を持ったことを深めることができたら、それは確実にその子の力にはなるということです。
園長:新井 純