先日、一人の青年と話をしていると、「田舎で働いていた時、そこでは多くの人が高卒で就職しているので驚いた」と言い出したので、私の方が驚きました。彼が言うに「自分は大学を出て、良い会社に就職するのが幸せだと思ってきたのに、そこでは高卒でも若くして家を建てて幸せに暮らしているので、何が幸せなのか、その価値観が変わった」というのです。

 何が幸せか、どうあるのが幸せか、そんなことは本人が決めることです。その当たり前のことに、アラサーになるまで気づかなかったということに、開いた口が塞がりませんでした。

 そこで、興味本位で尋ねました。「では、君は田舎暮らしに憧れ、田舎に住みたいと思っているのかい?」答えはNOでした。関西の町中で生まれ育った彼は、都会の便利さを当たり前のように享受し、それを捨てるつもりはないと言います。加えて、こんなことも言い出しました。「田舎で出会った彼女と話していると、話題は地元の話ばかり。世界が狭すぎる」君もたいがい偏狭な価値観を持っていたと告白したばかりやないかい!と心の中でツッコミを入れつつ、彼の中で価値観が変わったわけではなく、自分とは違う価値観が存在することを、身にしみてわかった、ということなのだと悟りました。

 価値観なんて、人ぞれぞれ、多様です。そして、どれが正解かというものではなく、どこに価値を見出すか、何に価値を見出すかは、見る人、感じる人、考える人、100人いれば100通りの基準で測られるものです。

 例えばです。若かった頃、片面が刻印されなかった珍しい50円玉が自販機のお釣りで出てきました。私はそれを目の前にあったパン屋さんですぐに使ってしまいました。ところが、数週間後、「お宝なんでも鑑定団」という番組に、その50円が出てきたではありませんか。「えー!まさかお宝だったの?」固唾を飲んで見守る私。テレビ画面には、250,000円という数字が並びました。当時の給料をはるかに上回る金額。「エラーコイン」というものがあり、それを収集しているマニアがいるという知識さえあれば、手元に残していたかもしれないと、どれほど悔しがったところで、もうその50円玉はテレビ画面の向こう側に行ってしまって戻ってはきませんでした。

 でも、私は1円も損はしていないのです。50円を50円として手に入れ、50円で使ったのですから。なのに249,950円の損をしたと思い込まされたのは、その50円に見出された、一部の人たちによってつけられた付加価値のせいです。私が悔しがったのは、その貴重な50円玉を手放したことではなく、25万円を儲け損ねたと思ったからです。つまり、私は25万円に価値を見出していたのです。逆に言えば、50万円出してでも、その貴重なコインを手に入れたいと思っている蒐集家もいるかもしれません。

 大人は子どもに様々な期待をかけます。でも、思い通りにならないことの方が多いかもしれません。しかし、子どもたちの可能性は多様であり、一人ひとりがかけがえのない宝を持っています。ですから、私たちは自分たちが期待するもので判断するのではなく、その子の存在にしっかり価値を見出したいと思います。

園長:新井純

 Nintendo Switchという携帯ゲーム機の「脳トレ」というソフトがあります。簡単な計算やミニゲームをしながら、脳を活性化させるというものです。我が家でもだいぶ前に購入していましたが、最近夫婦でこれを使い始めました。その中に、短時間で数字や物の位置を覚えて答えるという、短期記憶の課題があるのですが、これが苦手です。若い頃、おばあちゃんが「昔のことは良く覚えているのに」と言っていたのが、ついに自らのこととなってしまいました。

 では、昔のことはよく覚えているのか、と言うと、そこも案外いい加減なものです。一例を挙げると、私は小学校の時の成績はとても良かったと自負していて、妻や子どもたちに、「パパは国語算数理科社会では、『良い』とか『5』以外取ったことがない」と豪語していました。ところが、引越しの際、両親の荷物の中から私の通知表が発掘(?)され、改めて見てみると、全然そんなことはなく、3とか4も転がってました(笑)。

 さらに、その通知表を見返していると、こんなことが書いてありました。「クラスを盛り上げるのは良いが、友だちを巻き込んで度が過ぎる」「クラスの決め事を守るように」「友だちへの配慮が必要」今思い出せるだけでもこんな感じで、結構厳しい言葉が並んでいました。これを読んだ私の両親は、どんな心境だっただろうか、もし自分の子どもの成績表にこんな言葉が並んでいたら、私はどう思っただろうか、と思い巡らせました。

 そう言えば、給食の時間、盛り上がり過ぎて「廊下で食べなさい!」と教室を追い出されたことがありました。でも、その後廊下の方が盛り上がったために、教室に連れ戻されました。風邪で3日ほど休んだ後登校した時には、友達には大歓迎で迎え入れてもらえた代わりに、先生からは「純がいなかったこの3日間は、とても静かで落ち着いていた」と嫌味を言われました。でも、それを聞いた私は「頑張って盛り上げなきゃ!」と全く逆のことを考えていたのでした。学びや生活習慣を身につけさせ、クラス運営を通して社会性も育まなければならない先生という立場にしてみれば、はた迷惑な生徒だったのは間違いないようです。

 一つだけはっきりしていることは、それでも私は見捨てられなかったということです。通知表で指摘されたことについて諭されたことはあっても、打ちのめされて立ち直れないほど叱られた記憶はありません。諦められて放って置かれたと感じたこともありません。私はいつも、私の有り様を受け止めてもらっていたのです。

 ありのままを受け止めるというのは、決して簡単なことではありません。いわゆる受容できる範囲というのはありますし、受け止める側の心の余裕によっても変わるでしょう。また、何でもかんでも受容しなければならないとも限りません。わがまま、身勝手な行動、他者に著しい迷惑や危害を加える行動には制限をかけることもありますし、指導やしつけは必要なことです。

 その上で、仮に子どもであれば、その子の成長の過程をよく理解し、行動や言動を受け止めながら、必要な手を差し伸べるのです。

 私たちは心を傾けてもらったことをしっかり感じるものです。その思いは、必ず実りをもたらすと信じます。       園長:新井純

 新型コロナウィルス感染症の第2波とも言われる騒動に振り回された夏でした。加えて、熱中症対策という言葉を聞かない日はないくらい猛暑日が続き、夏を楽しむどころか、何とか無事にやり過ごせるようにと祈るほどでした。新型コロナ対策はまだまだ続きそうで、皆様にもご協力いただかねばなりませんが、子どもたちも保護者の皆様も、保育にあたる私たち職員も、健康が守られて、平安のうちに過ごせるよう祈るものです。

 連日の猛暑でしたが、当園の職員の中に、エアコンを使わずに寝ている者がいます。正確には、家にエアコンがあるのはリビングのみで、寝室含めて他の部屋にはエアコンを設置していないというのです。思わず、「どうやって寝てるの!」と聞かないではいられないのですが、アイスノンを抱えて寝てますとのこと。しかも、わずかでも夜間の温度が下がるような日は、窓も閉めてしまうのだそうです。私だけでなく、何人もの同僚から「死ぬよ?」と言われても、案外大丈夫なものです、と笑顔で答えていました。

 確かに、暑いから健康を崩すわけではありません。暑さから脱水症状を起こし、体温調節ができなくなり、熱中症になると大変なのであって、自然な汗がかけているのなら大丈夫なのです。実際、私自身、南の島にボランティアに行っていた時には、高温多湿のジャングルの中、エアコンどころか扇風機もない部屋でちゃんと寝られていました。静かに横になっているだけで、身体中を汗がスーッと流れ落ちていくのがわかるような環境でしたから、流石にはじめの数日間は寝苦しく感じていましたが、そのうち慣れてしまうのですから、人間の適応力はすごいものです。

 ただ、北海道から来た若者は、体調を崩してしまいました。汗を上手にかけなかったようです。本人のせいではなく、生まれ育った環境が、そのような暑さに対応する体を作らなかったのでしょう。それでも、10日くらいすると元気に働けるようになったのですから、これもまた適応力の凄さなのかもしれません。

 ちょっと前までは、エアコンなどで子どもを甘やかさない方が良いなどという意見を耳にしていました。その方が汗腺を発達させ、体温調節機能が高まるということのようです。私が青年だった頃は、スポーツの最中に水を飲むのは、体が疲れるという理由でご法度でした。今だったら虐待や行き過ぎ指導と言われるでしょう。

 そんなことを思い返しながら、命と健康を守るということと、心身の理想的な育成ということについて考えるのです。最も大切なのは命を守り、健康を害さないよう配慮することでしょう。同時に、私たちは温度管理された無菌室にいるわけではなく、自然の中で生きていますから、様々な環境変化に対応する能力も求められます。ウィルスや細菌などについても、ある程度は体内に入っても(入っていても)、免疫力によって発症を抑えるなどして健康を維持できることが理想です。

 そうした心と身体は、しっかり遊んで、しっかり食べて、しっかり寝るなどの、自然な命の営みを当たり前のようにすることで培われるように思います。人工的なものは、それを助けるために用いるべきでしょう。後は、私たちに備えられた適応力に期待しましょう。  園長:新井純
暑い夏がやってきました。ただ、今年の夏は何かと制限が多く、自由にお出かけできないなど、開放感あふれる楽しみ方がしにくかもしれません。それでも、健康と安全が守られながら、子どもたちには夏ならではの遊びやイベントを楽しんで欲しいと思っています。

とは言いつつ、やはりこの段階で不特定多数の人々が密集することへの懸念は払拭できず、園の夏祭りは中止しました。逆に、日常の保育の延長であるお泊まり保育は、予定通り行いました。あいにくの雨天でしたが、思い出深い一泊二日を楽しみました。

その時のことです。年長児たちと神経衰弱ゲームをしました。裏向けたたくさんのカードを2枚選んでめくり、同じカードを揃えるという昔ながらの遊びです。ゲームが始まって最初の順番の時、ひとりの子がパッパッと2枚をめくり、それが一致したのでサッと手元に取りました。明らかにその2枚が同じカードであることを知っていた動作でした。なので、「知ってたの?」と尋ねると、バレたか!というような緊張した表情で固まってしまいました。「ズルはあかんな」とさとすと、神妙な面持ちで頷いていました。

しばらくして、他の子がカードを選んでいる時、今度は自分の周囲のカードをコソッとめくって覗き見しているのが見えました。「見―たーなー?」と言うと、またまた緊張して固まりました。「ズルしたら楽しく遊べなくなっちゃうよ」と言うと、しまったという表情を浮かべていました。こうしたやり取りを周囲の子も知っていたのですが、わかっているのかいないのか、他の子たちの反応はありません。

ゲームは接戦で終盤を迎え、その子は劣勢だったのですが、なんと最後に運良く5〜6組を連続して引き当て勝利しました。心の中で、(最初のうちにズルしてたしな)と大人気ない心境の私に反し、ゲームに参加していた他の子たちは気にする様子はありません。特に最後に逆転で勝利を逃した子は「今回は○○の勝ちや」とあっさり。「あ、それでええんや?」と、私は拍子抜けしてしまいました。

別に勝ち負けにこだわっていたつもりではないのです。楽しくやっていたゲームが、ちょっとしたズルで勝ち負けにこだわるものにされてしまったことが、なんか嫌だったのです。もちろん、勝ち負けにこだわることがいけないのでもないし、やるからには勝利を目指すのは当然です。でも、そのためにルールを破ったり、仲間に背を向ける行為が正当化されてしまうような利己的な発想の芽があったとしたら、摘んでしまいたいと思ったのです。

でも、結果的に、私が勝負にこだわっていたのかもしれません。子どもたちはもっと単純に、そして純粋にゲームを楽しんだのです。中には、やっと1組だけ取ることができた子もいました。その瞬間は、私の方が喜んだほどです。周りの子はキョトンとしていました。でも、そうやって、みんなそれぞれのゴールや目標を持って、友だちや先生と一緒にゲームをすることを楽しんでいたのかもしれません。

「大人の価値観を押し付けないで!」と、また子どもたちに教えられた気分です。
園長:新井純

ランプの魔人ジーニーが登場するディズニーのアニメ映画「アラジン」を観ました。主人公のアラジンは、貧しいながらもいつかお金持ちになって、宮殿のようなところに住むという大きな夢を持つ青年。生きるためと言いながら、市場で食べ物をちょろまかすようなことを繰り返していましたが、せっかく手に入れた食べ物をひもじそうにしている子どもたちに譲ってしまうような、心優しい若者でした。

そんな彼が、いろいろありまして(中略)、不思議なランプを手に入れます。それは、ランプをこすると魔人ジーニーが現れ、願いを3つだけ叶えてくれるという魔法のランプでした。

魔人ジーニーが早速アラジンに尋ねます、「願いは何にする?」突然のことにアラジンは戸惑い、逆にジーニーに質問しました。「君なら何を願う?」ご主人様の願いを3つだけ叶える召使いとして生きてきたジーニーにとって、自分の意志というものはありませんでした。いや、意思はあっても、その通りに行動することはできない、いわば奴隷だったのです。そのように生きて来たジーニーが望んだのは、「自由」でした。

私たちは、おそらく自由であることを当たり前だと思っているでしょう。いくつかの国に見られるような、様々な権利が奪われたり、発言さえも制限を受けたりする社会について、実に不自由で不便で不幸だと思うのです。

ところが、新型コロナウィルス感染症は、自由を当たり前だと思っていた私たちを不自由にしました。様々な制限がかけられ、自粛警察やマスク警察などと呼ばれる、互いを監視しあうかのような心理状態に追い込まれた結果、本来自由に振る舞えるはずの個々の行動さえも、見えない圧力によって規制されているかのような錯覚を覚えるようになったのです。

そのような心理状態は、強権を発動する国のシステムをうらやむようにさえなり、国民を規制する強権を政府に与えるべきだという発想さえ生み出しました。あまりに短絡的で、冷静さを欠いていると言わざるを得ません。なぜなら、与えられた強権は、必ずその権力を持っている者たちのために使われるようになるからです。そして、権力の外側にいる者たちは隷属させられ、多様性は失われて行くのです。

やはり私たちにとって、自由であることはとても大切なことです。個性を大事に、などと言われるのも、自由が保証されていればこそ掲げられるスローガンです。

もちろん、自由とは好き勝手にできること、自分の思い通りに振る舞うことが許されているというものではありません。自由には、責任が伴うのです。その上で、自分の発言や振る舞いの責任を負うことが許されるということがいかに素晴らしいことなのかを思うのです。

魔人ジーニーが自由を求めたのは、それに勝るものはなかったからです。どんなにすごい力を持っていても、魔法を使えても、自由には敵わないのです。そんな自由を持っている私たち、これからも自らの歩む道を自ら選びとって歩める世界を築き、あるいは守り続けていかなければならないと思うのでした。
園長:新井 純

新型コロナウィルス感染症対策で登園自粛要請が出された時、震災などの自然災害発生時の経験から私が心配していたのは、子どもたちのストレスと、保護者の皆さんのストレスについてでした。活動が活発な子どもたちは、家の中にいるだけでは十分な発散が出来ず、ストレスを溜めるでしょう。発散したいために「いらんこと」をして叱られるかもしれません。それもまたストレス。

親御さんにとっては、子どもとゆっくり過ごせると思える時は良いですが、四六時中子どもと一緒ということが負担になる場合もあります。あるお母さんは、「保育士と母と妻と仕事人であることを全部いっぺんにやらされている」と嘆いていました。そんな中では、ついつい怒りっぽくもなるし、子どもが「いらんこと」をすれば、いつも以上に叱りつけるかもしれません。それもまたストレス。

海外では、早々から家庭内暴力や虐待が警戒され、実際その報告も出てきました。感染症を恐れた登園自粛が、虐待を誘発してしまっては元も子もありません。

似たようなチグハグなことが一般的にも言われていました。自粛が強まることで経済的に行き詰まり、自死する人が増えるのではないかと。

そのような中、確か連休中だったと思いますがTVニュースで、50人規模のBBQを企画した人へのインタビューを聞きました。主催者は「もう何人もの友人が自ら命を絶った。だから、繋がりを確認し、励まし合いたいんだ」とその理由を語りました。当初は10人くらいでやるつもりが、噂を聞きつけて人が集まり50人になったとも。ついでに警察や保健所に「自粛とは何か?衛生的に問題になるか?」などを問い合わせて、そのBBQが違法ではないことを確認しておいたというのを聞いて、感心したのでした。

外出自粛の呼びかけは、命を守るためのものでしたが、経済的困窮や、人との交わりの減少から孤独へと追いやられ、悲しい結果になってしまったケースもあったでしょう。このBBQの主催者は、単なる思い付きでBBQをしたのではなく、何が何でもそうしなければならないと思っていた自粛生活に、何が一番大切で、本当に優先すべきなのは何なのか、それを自分たちで考え判断したい、という意思を表し、社会に一石を投じたように感じました。

一方、自粛生活のために若年層の自死は減っているというニュースもありました。登校や出社が減り、いじめに合わないとか、対人ストレスが減ったためだというのです。驚きましたが、なるほど、そういうこともあるんだなと、こちらは複雑な心境でした。もちろん、そんな思いをしなくても良い関係作りや、一人ひとりが尊重される社会であるべきとの思いも新たにしました。

所詮、私たちは物事をある一面からしか見ていないことの方が多い、ということを思い知らされた気分です。同時に、私たちは自分のフィルターにかけて物事を判断するものだということを確認させられた気がしました。

その自覚をしつつ、私たちは子どもたちの育ちに何が必要で、何が喜ばれるのかを考えながら、その時々の情報を吟味して、保育に生かしていきたいと思うのでありました。
園長:新井 純

本来なら暖かな春の陽射しの中で外遊びを楽しめる季節です。はと、小羊、大羊グループは、年4回予定されている山登りの1回目に出かけていたはずです。ゴールデンウィークにはお出かけやイベントを予定していたご家庭もあったことでしょう。なのに、ソーシャルディスタンスの徹底のためとは言え、登園自粛要請をせねばならないことを心苦しく思っています。

最前線で戦っておられる方々、社会的責任を果たすためにどうしても休めない方々、育児疲れを含む様々な支援を必要としている方々のために、京都市内の保育園は自粛要請をしながらも開園しています。もちろん、園の職員たちの安全確保も必要ですから、「大丈夫!」という気持ちと、「万が一感染やクラスターが発生したら?」という葛藤があります。その中で、休園が許されない保育の現場は、自分の意思とは関係のない力で前進させられる台車に載せられ、前進以外の選択肢のない線路の上を進んでいる気分ではあります。でも、私たち保育園の役割は、いつでも後方支援なのだということを確認しながら、その責任を果たしたいとの思いを新たにする今日この頃です。今はとにかく、子どもたち、ご家庭の皆さま、職員、みんなの健康が守られるよう祈ります。

数年前、引越しの際に私の小学生時代の成績表が発掘されました。それを見つけた姉と妻は、中身を確認しながら大笑いしたようです。なぜ笑ったのかと言うと、私はいつも「小学生の時は、主要な教科はいつも5だった」と豪語していたのに、実際はそうでもなかったからのようでした(汗)。

私としては、ウソをついたつもりもないし、見栄を張っていたわけでもなく、本気でそう思い込んでいたのです。なぜそんな記憶になったのでしょう。例えば、算数を頑張った!そして結果も頑張った甲斐があった!ということが一度あれば、自分としては一生懸命やっていたことは、結果も伴うものだと思い込んだのかもしれません。

まあ、そのあたりはさておき、成績表の中で、学習の様子や生活態度などについて、先生が自由に記入するところが驚きでした。「落ち着きがない」「すぐふざける」「友だちを巻き込んで乱す」などなど、「そこまで書くか!」というくらい、否定的な言葉が並んでいました。心当たりは無くもないと言いましょうか、確かにいつも賑やかで楽しかった記憶はあります。なぜかは覚えていませんが、きっとペナルティーだったのでしょう、廊下で給食を食べることを命じられた時も、廊下の方が盛り上がりすぎて全然罰になってなかったなんてこともありました。

そんな私を、両親は面白がっていてくれました。決して放任されていたわけではなく、礼儀や外での立ち居振る舞いには厳しかったですし、約束事や果たすべき役割もきちんとさせられました。これは、今振り返ってみると、一人の人格を持った人間として接してもらっていたということなのだとわかります。

そう、子どもの頃から一人の人格を持った存在として向き合ってもらうことは大切なことです。なぜなら、喜んだり、悲しんだり、誇ったり、悔しがったりする感情には、大人と子どもの区別はないからです。
園長:新井 純
 新入園児とご家族の皆さん、入園おめでとうございます。在園児とご家族の皆さん、進級おめでとうございます。ここから始まる1年が、子どもたちにとって、またご家族の皆様にとって豊かな実りあるものとなりますようお祈りします。

 山登りのために、北アルプスの玄関口の一つ、上高地に行きます。有名な観光地ですから、シーズンになると大勢の観光客が訪れます。散策を楽しむ観光客の間に、山を巡り歩いた薄汚れた登山者が混じるのは、いつも気がひけるものです。

 そんな上高地の散策路周辺には、ニホンザルがよく出没します。猿は群れで行動するのですが、群れには必ず子猿もいます。この子猿を観察するのがとても面白いのです。なぜなら、人間の子どもを見ているような気になるからです。

 赤ちゃん猿と思われる小さな猿は、常に母猿のお腹にしがみついています。京大霊長類研究所の松沢哲郎先生によると、チンパンジーの赤ちゃんを仰向けに寝かせると、左右対角線の手足を上げるか下げるかするそうです。例えば、右手を上に上げる時に左足も上に上げる。左手を上げる時には右足を上に上げるという状態です。これはどんな時でも母猿にしがみついているためなのだそうです。

 少し大きくなると、母猿の近くで遊ぶ様子も観察できます。同じくらいの大きさの子猿同士でじゃれ合って遊んだり、それを母猿にしがみつきながら見ている赤ちゃん猿がいたりします。

 グッと大きくなって、イメージ的には小学生低学年くらいの子猿になると、群れから離れない程度に自由に走り回り、子猿同士で鬼ごっこやかくれんぼでもしているのかと思うほど活発に遊びます。

 私が興味を惹かれるのは、そうした自由に走り回る前の段階の子猿です。母猿の元からは離れるのだけど、何も気にせず走る回るまでの度胸はなく、離れてみては母猿の元へ戻り、あるいは思いのほか遠くに離れすぎたのか、私に観察されていることに気づくと、近くの障害物に身を隠して怯えているような姿を見せるのです。

 人間の子どもも、お母さんにべったりくっついて安心を得る段階から、少しずつ離れては戻りというのを繰り返し、だんだん離れていく距離も時間も増えていく、そのようにして成長していきます。離れていけるようになるのは、いつでも戻れる、戻れば母親(家族・保育者)がいる、という安心を抱けるからです。見方を変えれば、安心を抱けない、信用を持てなければ、いつまでも離れられません。ですから、まずは子どもが安心できるように「いつでもここにいるよ、大丈夫だよ」ということをしっかり伝える必要があります。

 年長児になっても、パパママとくっついている安心を欲しています。園生活がどんなに楽しくても、保育士のことがどんなに好きでも、パパママから得られる安心には代えられません。パパママであるというだけで、子どもの心に代え難い安心を与えられるのです。「子どもをしっかり抱きしめてあげて」と良く言われるのは、そういうことなのです。このことをぜひ覚えておいてください。そして、子どもの心(気持ち)を想像しながら、寄り添ってあげてください。みんなの笑顔が増えますからね。
園長:新井 純

 新型コロナウィルスがいよいよ本気出してきましたね。誰も罹患したことがない新しいウィルスだから免疫もなく、そのために一気に蔓延するとのこと。かつてヨーロッパの白人が中南米に攻め込んだ際に一気に壊滅的ダメージを与えることができたのは、やはり病原菌が原因だったのだそうです。ヨーロッパでは何度も流行して多くの人が免疫を持っていた病も、中南米に行けば全く新しい病気として、免疫のない人々の間で大流行し、その隙に征服してしまったというのです。

 似たような話は他にもあります。私がかつてボランティアで通っていたミクロネシア連邦ポナペ島での話です。アメリカが統治していた時代、キリスト教の宣教のために5組の宣教師夫妻がこの島に派遣され、熱心に布教活動を行いました。しかし、お楽しみのプログラムには多くの島民が訪れるものの、4年かかって一人も信者になる者がいませんでした。なぜなら、島には5人の酋長がいて、力を持っていた酋長の許可がなければ信仰を持つことは出来なかったからです。

 ある日、スペインの捕鯨船が水と食料の補給に立ち寄った際、島にコレラを持ち込んでしまいました。それまでコレラがなかった島ですから一気に蔓延し、島民の1/3が犠牲になるほどの大惨事となりました。

 その時、いち早くコレラであることに気づいた宣教師たちは、ワクチンを緊急輸入し、島民たちに接種し、多くの人々を助けました。そのことをきっかけに、酋長たちがこの宣教師たちの働きを讃え、キリスト教の信者となりました。そして、つられるようにして島民たちも続々と洗礼を受け、島民皆がクリスチャンになったのでした。

 ここで書いた免疫というのは、肉体的な事柄のことですが、精神的な事柄にも免疫という言葉を当てはめることがあります。例えば、何か困難な状況に遭遇した時、似たようなことについて何度も経験があれば、うろたえたりくじけたりするよりも先に、それを乗り越える方法を知っているとか、やり過ごす術を得ていて、これに耐えられるものです。これを「免疫がある」と表現するわけです。逆に、経験が足りないと、打たれ弱いとか免疫がないという評価になるわけです。

 私たちは誰でもいつでも気持ちよく快適に過ごしたいと思うものです。穏やかな春の陽を浴びながら心地よい風に吹かれているような、そんな気持ちでいつも過ごしたいのです。しかし現実はそうとは限りません。天気と同じように、晴れの日もあれば雨の日もあるし、厳しい嵐に晒されることもあります。そして、大人になったり、責任を持つようになれば、その風当たりも強くなっていくのです。そんな時、私たちを支えるものの一つがやはり免疫なのかもしれません。それまでに経験して培ってきたものが、私や私の周囲を守るのです。

 でも、それだけではありません。免疫のない者を免疫を持っている者が支えることもあるでしょう。大切なのは、困難に晒された時、私たちはひとりぼっちではないと信じられるものを得ていくことです。私が支えることも、支えられることもありますが、ひとりぼっちじゃないことを知ること、それこそが、私たちにとって最も大切な免疫になるのかもしれません。
園長:新井 純

※この記事は、2020年2月29日発行の園だよりに記したものです。

暖冬小雪がニュースになっています。私が4年前まで在任していた豪雪地帯である新潟県十日町市も、例年なら2mくらいあるはずの積雪が今年は1月27日現在0cmとのことでした。

雪国は雪がないと困ることがあります。ニュースになっているのはスキー場の雪不足。営業ができなければお客さんも来ませんから、スキー場はもちろん、用具のレンタル業者、飲食施設、宿泊施設なども合わせて打撃を受けます。

他には、土建業者が影響を受けます。雪国は通常冬季に工事をしません。雪に邪魔されて工事が進みにくいからです。その代わり、道路や屋根の除雪に従事します。特に、道路除雪は国や県や市町村から委託を受けるので、冬季の主たる収入になります。それをあてにして大型の除雪車両も揃えます。にも関わらず雪が降らず出動機会が減れば、当然収入がなくなるので悲鳴をあげることになります。もちろん、業者が除雪体制を整えてくれなければ行政サイドも困りますから、小雪の時でもある程度の補助金は出ます。その辺は持ちつ持たれつの関係があるのですが、やはり冬は除雪が頼みの綱という業界にとっては、小雪は困った事態ではあります。

さらに、雪は山に降りますから、それは春以降の水の供給や山の恵みの源になります。従って冬季の雪不足は、春以降の水不足を引き起こすので、雪があまり降らない平野部の人々にも大きな影響を与えるのです。

こうした暖冬小雪は地球温暖化の影響ではないかと危惧されています。小雪のことだけで判断するなら、過去にも小雪は何度もあったので、一概に地球温暖化の影響とは言えないかも知れません。しかし、地球温暖化が大きな問題として認識されていることは確かです。そして、その対策が叫ばれながら、経済優先の政策や私たちの暮らしは、見たくないものを見ないようにしているのではないかと心配になります。

今だけ良ければそれで良いじゃないか、あるいは今をやり過ごせばどうにかなる、そんな発想を続けていたら、将来大きなしっぺ返しを食らうのは言うまでもありません。しかも、そのツケは今の子どもたちが払わされるのであり、私たちが高齢者になった時の福祉などにも大きなダメージをもたらすのは想像に難くないでしょう。

こんなお話があります。おじいさんが果物の苗木を植えていました。そこへ若い旅人が通りかかり、おじいさんのしていることを見て笑いながらこう言いました。「じいさん、この果物が実る年まで生きていられると思っているのかい。食べられもしないものを植えても仕方ないだろう」するとおじいさんは微笑みながらこう答えたのです。「わしは子どもの頃からこの果物を食べてきた。でも、それはわしが植えたものではないのだよ」

私たちが今受けている恵みは、先人たちの労苦の上にあるのだと知れば、私たちはそれをただただ食いつぶすのではなく、次世代に繋いでいかなければならない責任を負っていることにも気づけるでしょう。見たくないから見ない、聞きたくないから聞かない、そんなことを繰り返していくような愚かさに決別し、私たちの子どもたちを含む次世代への責任を果たすことをきちんと考える者でありたいと思います。 園長:新井 純


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