新しい年度のスタートです。昨年に引き続き、新型コロナ禍によって従来通りの保育とはいかないことが予想されますが、出来ることを探しながら、元気に楽しく過ごしたいと思います。

 ご存知の方もおられましょうが、イエス・キリストには12人の弟子がいました。その中に、ペトロという漁師がいました。彼は最初に召し出された弟子で、最も有名だと言っても良いでしょう。だから、さぞ立派な人物だったのだろうと思いきやさにあらず。実は「やっちまった!」ということが誰よりも多い弟子でした。実に、イエスさまが十字架につけられる直前にも、そんな出来事があったのです。

 ダヴィンチの絵でも有名な最後の晩餐の時でした。イエスさまは、ご自分に災難が降りかかり、そのために弟子たちがバラバラにされてしまうと預言されました。それを聞いたペトロは「たとえ、みんながバラバラにされても、私はあなたについて行きます!」と言いました。するとイエスさまは「あなたは今夜、鶏が2度鳴く前に、3度私を知らないと言う」と、ペトロも他の弟子たちと同じように、イエスさまから離れていくと預言したので、ペトロは「たとえご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と力一杯宣言しました。

 その夜、イエスさまは別の弟子の裏切りによって捕まってしまい、敵対勢力の本陣に連れて行かれました。ペトロはイエスさまのことが心配で、こっそり後について行ったようです

 大祭司の邸宅の庭で焚き火をしている人たちの輪に紛れ込んだペトロは、そこで様子を伺っていました。ところが、女中の一人が「あなたはあの人の仲間だ」と言い出したのです。「そんな人は知らない」としらばっくれたペトロは、そこを抜け出そうと出口に向かいました。その時鶏が鳴きました。別の人が「やはりお前はあの人の仲間だ」と言うので、「知らないって言ってるだろ!」と反論したペトロ。「いや、お前が一緒にいるところを見た」と言われ、ついにはイエスさまに対して呪いの言葉を使ってまで「知らない」と全力で否定したのでした。その瞬間に、また鶏が鳴きました。ペトロは、「鶏が2度鳴く前に、3度私を知らないというだろう」というイエスさまの言葉を思い出し、大声をあげて泣いたのでした。

 死んでもお供します!とあれだけ力強く誓ったのに、いざとなったらやっぱりダメでした。イエスさまの一番弟子でさえ、命が脅かされる危機の恐怖には耐えられませんでした。でも、それが人間の姿なのです。どんなに固い意志を持とうと、どんなに強がろうと、想定外の大波の前では、私たちは所詮翻弄される木の葉のようなものになってしまいます。そう、私たちは弱い存在なのです。でも、そんな私たちのことを神さまはご存知です。そして、弱いから見捨てるのではなく、弱いからこそ支えてくださるのです。

 子育ては困難の連続ですが、支えてくださる仲間が必ずいて、そこには全てをご存知の神さまが必ず一緒にいてくださいます。その力を感じる時、私たちは弱くてもしっかり立つことができるし、前を向いて歩き出す力を得るのです。弱くたっていいんです。

園長:新井 純


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