新年おめでとうございます。昨年は新型コロナウィルス感染症に翻弄された1年でした。今年もまだまだ対策は続きそうですが、子どもたち、保護者の皆さん、職員一同、健康が守られて、不自由ながらも喜びと感謝を分かち合いながら、成長しあえる1年となるよう、お祈りいたします。

 今年はさすがに神社に初詣をする人も減っていたようです。わたしは牧師なので神社で初詣はしません。と言うより、周囲には「初詣は教会へ!」と冗談まじりで呼びかけているのですが、今年はさすがにそうした呼びかけも控えめでした。

 でも、新型コロナが流行る前から、ある先輩牧師がこんなことを言っていました。「最近、スポーツ選手は神社に行かなくなったらしいぞ。だってな、神社行くと参拝せなあかんからな!」何がおかしいのですか?神社は参拝しに行くところでしょ?なんで参拝するから行かなくなるの?そう思って首を傾げていたら、先輩は続けてこう言いました。「これからは教会やで。教会は礼拝やからな!」ん、どういうこと?あっ、もしかして、参拝=3敗、礼拝=0敗ってことか!ダジャレかい!

 これだけで終わりません。「こんな話をしたらな、中には『キリストは十字架にかけられて殺されたんやろ?0敗どころか惨敗やないか!』って言う人もおるかもしれん。でもな、そん時は言い返すんや、『アホ!キリストはそこから復活したんじゃ』って」綺麗な連続技が決まって、座布団2枚と言いたいところでした。

 そうなのです。キリストは十字架に上げられて殺されますが、埋葬された3日目に甦ったと聖書は記しています。これは、イエスが殺されたことで絶望の底に突き落とされた弟子たちや、イエスを慕っていた人々にとっては、信じられないほどの大逆転劇でした。

 ただ、最初から信じられたわけではありません。弟子たちはイエスの復活を疑っていました。トマスという弟子に至っては、「私は、十字架につけられた時に刺された釘の跡があるはずの手のひらに自分の指を入れ、槍で刺された脇腹にこの手を入れてみるまでは信じない!」と言うほどでした。そんなことを言うトマスのところに、復活されたイエスは現れました。そして言うのです、「さあ、指を入れみよ。脇腹に手を突っ込んでみろ」そう言われたトマスは、師匠を信じきれていなかったことを悔いて、涙を流したのでした。

 新型コロナが収まるどころか、猛威を振るう中で迎えた2021年ですが、私たちは希望を失いません。「何とかなるさ♪」などと、根拠もなく楽観的になるには状況が深刻すぎますが、このままどんどん暗くなるはずはないのです。

 豪雪地であった前任地で雪と闘ってきた日々を思い出します。除雪して振り返ると雪が積もっているという虚しさや、除雪したいけど雪の捨て場所さえ無くなって途方に暮れたことなど、体力のみならず精神的に追い詰められていく雪害は、想像を絶する試練でした。でも、雪国の人々は、明けない冬はない、必ず春は来る!ということを知っているので、じっと耐え忍びます。同じように、新型コロナ禍もいつか必ず終息します。それを信じて、新しい年をスタートしましょう。

園長:新井純

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