新型コロナ流行に伴う全国学校閉鎖から丸3年が経過しました。卒園式をするかしないか議論の末、恐る恐る挙行したのが、もうだいぶ前のことのような気がしています。

この3年の間、流行は波のように高まったり収まったりを繰り返し、私たちは右往左往してきました。様々な行事が中止や変更を余儀なくされ、「元に戻れるのはいつ頃か?」という思いから、「もう元には戻れない」へと心が変化していきました。やがて「ウィズ・コロナ」という言葉が使われ始め、新しい生活様式と言うか、新しい社会常識のようなものが生まれてくるだろうことが想定され始めました。ただ、それは誰が作り、誰が主導していくのかは分からず、ただ漠然と「今まで通りではないけど、不自由なままでもないはず」という思いが「ウィズ・コロナ」という言葉で表現されたのだと感じました。

そのような中、日本から派遣した若い宣教師を問安するため、昨年11月末にドイツを訪問しました。出発前、彼の地の交通機関を利用するためにはFFP2という規格のマスクが必要だと聞き、慌ててAmazonで購入しました。ちゃんと表側にFFP2と目立つように印字されています。普段しているマスクよりも息苦しく感じたのは、フィルターが細かいせいでしょう。

 ところが、現地に着いて第一声「みんなこんなマスクしてへんやん!笑笑」そう、確かに電車やバスの中では多くの方がマスクをしていましたが、規格なんて関係なし。ついでに言うと、電車なら2〜3割の方はマスクさえしてませんでした。バスは100%、なぜなら運転手が注意するからです。そして、何より外を歩いている人たちはほとんどノーマスクなのに驚きました。レストランでさえ全員ノーマスクです。ベルギーとスペインにも行きましたが、そちらはマスクしている人を見つけるのが困難なほどでした。

現地の駐在員がおっしゃいました。「ちゃんとデータを取って、それに基づいて情報提供される。だから、どのような場面で何に気をつければ良いのかがハッキリする。でも、日本はイメージだけでマスク着用が判断されるから、いつまでもはずせないのだ」なるほど、納得でした。自分で判断できるのは良いことですし、何よりも情報がきちんと提供されることが羨ましいと思いました。

残念ながら、日本ではマスコミが一生懸命情報操作をしているように思えます。さして混み合っているとも思えない休日の街の様子を、カメラのアングルを工夫して「こんなにたくさんの人が出てきています!」などと伝えたりするのを、うんざりしながら見ていたものです。

そんな中、政府が卒業式について原則ノーマスクという方針を出しました。そのため、生徒や先生など学校現場が戸惑い、保護者たちも巻き込んで混乱しているとか。「マスクを強制しませんよ」と言うだけだったら、それぞれの学校がどうするかを決められたし、学校の方針も「強制しませんよ」だったら、生徒が自分で決められるから、それで良かったのに、と失笑です。

今の子どもたちが大きくなる頃には、提供される情報の真偽を自分で見極め取捨することや、それに伴う必要な判断を自分でし、それが尊重される社会になっていることに期待します。 
園長:新井 純

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