本来なら暖かな春の陽射しの中で外遊びを楽しめる季節です。はと、小羊、大羊グループは、年4回予定されている山登りの1回目に出かけていたはずです。ゴールデンウィークにはお出かけやイベントを予定していたご家庭もあったことでしょう。なのに、ソーシャルディスタンスの徹底のためとは言え、登園自粛要請をせねばならないことを心苦しく思っています。
最前線で戦っておられる方々、社会的責任を果たすためにどうしても休めない方々、育児疲れを含む様々な支援を必要としている方々のために、京都市内の保育園は自粛要請をしながらも開園しています。もちろん、園の職員たちの安全確保も必要ですから、「大丈夫!」という気持ちと、「万が一感染やクラスターが発生したら?」という葛藤があります。その中で、休園が許されない保育の現場は、自分の意思とは関係のない力で前進させられる台車に載せられ、前進以外の選択肢のない線路の上を進んでいる気分ではあります。でも、私たち保育園の役割は、いつでも後方支援なのだということを確認しながら、その責任を果たしたいとの思いを新たにする今日この頃です。今はとにかく、子どもたち、ご家庭の皆さま、職員、みんなの健康が守られるよう祈ります。
数年前、引越しの際に私の小学生時代の成績表が発掘されました。それを見つけた姉と妻は、中身を確認しながら大笑いしたようです。なぜ笑ったのかと言うと、私はいつも「小学生の時は、主要な教科はいつも5だった」と豪語していたのに、実際はそうでもなかったからのようでした(汗)。
私としては、ウソをついたつもりもないし、見栄を張っていたわけでもなく、本気でそう思い込んでいたのです。なぜそんな記憶になったのでしょう。例えば、算数を頑張った!そして結果も頑張った甲斐があった!ということが一度あれば、自分としては一生懸命やっていたことは、結果も伴うものだと思い込んだのかもしれません。
まあ、そのあたりはさておき、成績表の中で、学習の様子や生活態度などについて、先生が自由に記入するところが驚きでした。「落ち着きがない」「すぐふざける」「友だちを巻き込んで乱す」などなど、「そこまで書くか!」というくらい、否定的な言葉が並んでいました。心当たりは無くもないと言いましょうか、確かにいつも賑やかで楽しかった記憶はあります。なぜかは覚えていませんが、きっとペナルティーだったのでしょう、廊下で給食を食べることを命じられた時も、廊下の方が盛り上がりすぎて全然罰になってなかったなんてこともありました。
そんな私を、両親は面白がっていてくれました。決して放任されていたわけではなく、礼儀や外での立ち居振る舞いには厳しかったですし、約束事や果たすべき役割もきちんとさせられました。これは、今振り返ってみると、一人の人格を持った人間として接してもらっていたということなのだとわかります。
そう、子どもの頃から一人の人格を持った存在として向き合ってもらうことは大切なことです。なぜなら、喜んだり、悲しんだり、誇ったり、悔しがったりする感情には、大人と子どもの区別はないからです。
園長:新井 純