新型コロナウィルスがいよいよ本気出してきましたね。誰も罹患したことがない新しいウィルスだから免疫もなく、そのために一気に蔓延するとのこと。かつてヨーロッパの白人が中南米に攻め込んだ際に一気に壊滅的ダメージを与えることができたのは、やはり病原菌が原因だったのだそうです。ヨーロッパでは何度も流行して多くの人が免疫を持っていた病も、中南米に行けば全く新しい病気として、免疫のない人々の間で大流行し、その隙に征服してしまったというのです。
似たような話は他にもあります。私がかつてボランティアで通っていたミクロネシア連邦ポナペ島での話です。アメリカが統治していた時代、キリスト教の宣教のために5組の宣教師夫妻がこの島に派遣され、熱心に布教活動を行いました。しかし、お楽しみのプログラムには多くの島民が訪れるものの、4年かかって一人も信者になる者がいませんでした。なぜなら、島には5人の酋長がいて、力を持っていた酋長の許可がなければ信仰を持つことは出来なかったからです。
ある日、スペインの捕鯨船が水と食料の補給に立ち寄った際、島にコレラを持ち込んでしまいました。それまでコレラがなかった島ですから一気に蔓延し、島民の1/3が犠牲になるほどの大惨事となりました。
その時、いち早くコレラであることに気づいた宣教師たちは、ワクチンを緊急輸入し、島民たちに接種し、多くの人々を助けました。そのことをきっかけに、酋長たちがこの宣教師たちの働きを讃え、キリスト教の信者となりました。そして、つられるようにして島民たちも続々と洗礼を受け、島民皆がクリスチャンになったのでした。
ここで書いた免疫というのは、肉体的な事柄のことですが、精神的な事柄にも免疫という言葉を当てはめることがあります。例えば、何か困難な状況に遭遇した時、似たようなことについて何度も経験があれば、うろたえたりくじけたりするよりも先に、それを乗り越える方法を知っているとか、やり過ごす術を得ていて、これに耐えられるものです。これを「免疫がある」と表現するわけです。逆に、経験が足りないと、打たれ弱いとか免疫がないという評価になるわけです。
私たちは誰でもいつでも気持ちよく快適に過ごしたいと思うものです。穏やかな春の陽を浴びながら心地よい風に吹かれているような、そんな気持ちでいつも過ごしたいのです。しかし現実はそうとは限りません。天気と同じように、晴れの日もあれば雨の日もあるし、厳しい嵐に晒されることもあります。そして、大人になったり、責任を持つようになれば、その風当たりも強くなっていくのです。そんな時、私たちを支えるものの一つがやはり免疫なのかもしれません。それまでに経験して培ってきたものが、私や私の周囲を守るのです。
でも、それだけではありません。免疫のない者を免疫を持っている者が支えることもあるでしょう。大切なのは、困難に晒された時、私たちはひとりぼっちではないと信じられるものを得ていくことです。私が支えることも、支えられることもありますが、ひとりぼっちじゃないことを知ること、それこそが、私たちにとって最も大切な免疫になるのかもしれません。
園長:新井 純
※この記事は、2020年2月29日発行の園だよりに記したものです。