世光保育園では、8月初めに「平和を考える集い」という日を設定しています。その日には、第二次世界大戦のこと、今も世界中のどこかで起きている戦争や紛争のこと、そしてそれらを通して平和であることの尊さやこれを守り、創り上げていくことの使命を、スライドショーや保育士の話を通して子どもたちと分かち合います。また、給食は「粗食の日」とし、ご飯に具無しの味噌汁、そしてきゅうりの塩揉み程度のおかずしかありません。戦時中や戦後数年間は、白いご飯さえ食べられない日々があったことを知るためです。

8月15日は第二次世界大戦(太平洋戦争)で日本が負けを認めた敗戦の日です。そのため、8月になると戦争に関するドキュメント番組や、戦争にまつわるさまざまなエピソードを元にした映画やドラマなどが製作され、放送されます。観てみて楽しいものではありませんから、敬遠されることも多いでしょうし、ドラマや映画にしても感動的なものに仕上げられてますから、ともすると戦争を美化してしまってはいないかと危惧する声も上がります。

例えば、岡田准一さんが主演した「永遠の0」という映画がありました。神風特攻隊という、爆弾を抱えたままの飛行機で相手の軍艦に突っ込んでいくという、凄まじい作戦が背景に取り上げられていました。岡田さんの名演もあったのでしょうが、鑑賞した人たちから、感動した!という声が多数聞かれました。

愛する人のため、家族のため、そして国のために我が身を顧みず、命をかけて戦うとなれば、それは尊いことであったし、誰かに何か言われるような筋合いのものではないでしょう。それ自体には最大限の敬意を表するのです。

一方で、だからと言って、そこに「尊い命」という犠牲があったことをうやむやにしてはなりません。国同士の喧嘩なのに、国を守るの当然だとか、いつの間にか大切な人を守るためという理由にすり替えられて、戦場に赴いた若者たちがいました。そして、生きて帰る可能性のない特攻という恐ろしい作戦が考え出され、それに志願し、実際に特攻した戦士たちがいたのです。

その思いは純粋でした。だから、そこを切り取れば美しいし、感動的です。でも、その思いを利用していた「偉い人たち」がいて、兵士の命を「部隊の数(損失)」としてしか見ていなかった幹部たちがいたことを知らねばなりません。

命は一人に一つだけ、一度失えば取り戻せないたった一つの宝です。沖縄では「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)」という言葉をよく目にします。日本で唯一熾烈を極める残虐な陸上戦を経験したからこそ、命の大切さを思い、戦争によってこれが奪われることへの抵抗をどこよりもしているのです。

命こそ宝、この一点において、戦争に反対し、子どもたちの未来を守る責任があることを自覚したいと思います。戦争をしても良いように憲法を変えれば、戦争に行くのは子どもたちです。人生の先輩たちが守り通したものを、諦めて手放してはなりません。「それは平和ボケだ」と言われたら、こう諭します、「戦争の悲惨さを忘れて、再び戦火を交えようとすることこそ、平和ボケなのではありませんか」と。

園長:新井 純


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